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あおさんのブログ

こんにちは テアトル・エコーの青柳敦子です。「ぐるっぽ・ちょいす」というユニットで、舞台作品を作ります。ワークショップも開催します。人と人とのふれあいと、笑いを求めて今日も行く!! 一匹狼の演出家です。

   
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この週末、神戸と京都に参ります。

 

どちらも講師として呼んでいただきました。

神戸では、私立学校のニューフェイス先生を対象にした教育的演劇のワークショップを…
そして京都では、演劇人、演劇を楽しむ方向けのワークショップを…
どちらも「誰かとむきあうこと」をテーマに、それぞれプログラムを組んでいます。

関西へ出向くのは久しぶり……

とても楽しみです。

特に京都のワークショップは、何年越しの思いが実現したもので、本当にうれしいです。

思えば、2010年に京都で開催された「ぶんげいマスターピース工房 シェイクスピア・コンペ」にエントリーし、『ヴェローナの二紳士 ~大正浪漫に花開く男と女の初恋事件簿~』で優秀賞をいただいたのが、そもそもの始まりでした。
翌年の2011年に、「ぶんげいマスターピース工房 シェイクスピア・ウィーク」に『K・リア』で招致していただき、京都の劇団「てんこもり堂」と市民有志の皆さんにアンサンブルで共演していただきました。

今回はその時の「てんこもり堂」さんが旗振り役になってくださいました。

京都のワークショップは既に定員に達し、というか、定員オーバーの状況で、受付は一応締め切られたそうです。本当にうれしい悲鳴です。ありがたいです。
皆さんの期待の答えられるよう、頑張りまっすっ!!

そう言えば、「ぶんげいマスターピース工房 シェイクスピア・コンペ」で一緒に優秀賞を受賞し、「ぶんげいマスターピース工房 シェイクスピア・ウィーク」で上演された『前向き! タイモン』で、作・演出の矢内原美那さんはその年の岸田戯曲賞を受賞されたんでしたっけ。
いろんな意味で、とても意義深いイベントだったんですね。

出会いに感謝……m(__)m
出会いに感謝……m(__)m
出会いに感謝……m(__)m

そんなわけで。
週末が楽しみっ!!!

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「岸田國士を読む。夏」が終わってすぐだというのに
もう次の舞台です。
こんなことは珍しいです。
しかも私が出演してしまいます。

いいんでしょうか?……私で… と思いながら稽古に通っております。(笑)

その舞台がこちらです。
 創作自由市場

オリジナル作品ばかりを集めた創作日本舞踊の会です。
私は坂東冨起子さんが振付する「動物の謝肉祭」に関わらせていただいています。
作品は15分ほど。
私の滞空時間は……4分ぐらい???

冨起子さんは本当に素晴らしい舞踊家です。
踊りのキレ、美しさもさることながら、表現に対する探求心や、目標に向かう研鑚のしかたがそれはもうすごいのです。

もうずいぶん昔になりますが、私がリトミックの手法で創作した「ミュージカル・コレグラフィ 動物の謝肉祭」(サン・サーンス作曲)の舞台に冨起子さんに出演していただきました。その時の事をずっと覚えていて…というか、日本舞踊とは全く切り口が違うアプローチにもう一度挑戦したいと思い続けていてくださったのだそうです。
ありがたいことです……。

そして今回、彼女が振り付ける「動物の謝肉祭」に、今度は私が招いていただきました。

サン・サーンス作曲の「動物の謝肉祭」は、バレエ「瀕死の白鳥」で有名なあの1曲を含むおなじみの組曲ですが、全編にパロディや風刺がたくさん織り込まれていて、いわば“音楽の冗談”といった趣が満載です。
そのパロディ感が、冨起子さんの手に掛るとさらに炸裂!!
本当に天衣無縫というか、破天荒というか、お楽しみモード全開になっています。
もちろん和の部分もあって、舞踊家らしい、冨起子さんのソロは圧巻です。

同じテーマを扱いながら、全く違った作品が出来上がるおもしろさを日々稽古場で味わっています。
その中には、私の作品からのアイデアを発展させてくださったものもあり、本番までの数日の稽古ではさらに進化を遂げていきそうです。

5歳から小六のお子さんも3名出演……かわいいです。

もしよろしければ、9月3日(木)、18時開演、JR高円寺駅すぐそばの劇場 座・高円寺(電車から見える茶色い不思議な形の建物です!)へお越しくださいませ。

坂東冨起子作品を始め、全部で7組の意欲的な創作舞踊が並びます!!

 パフォーミングアーティストのオーハシヨースケさんからバトンをお預かりし、「心と体の平和」「心と体と平和」についてのメッセージを3日間担当させていただきます。その最終日です。



このメッセージ・リレーは、広島市西区の太光寺の副住職である東和空さんの発案で、天城流湯治法杉本錬堂さんから始まったのだそうです。バトンはメッセージを書いた方から次のお二人の方に託されます。こうしてメッセージを発信する方がどんどん増えてゆくという仕掛けです。

このブログの後、私からも新たなお二人にバトンは繋がります。

さて、その三日目に何を書きましょう?
お話ししたいことは、はっきりしているような気がするので、今日は単刀直入に参りましょう。
皆さんにぜひ見ていただきたい映像がいくつかあるのです。

まず一つ目はNNN(日テレ)のドキュメンタリーです

「9条を抱きしめて~元米海兵隊員が語る戦争と平和~」

*dailymotion の映像なので、動画添付ができませんでした。m(__)m

45分にわたる番組です。もし今すぐに全編見ている時間はないなとお思いでしたら、文字興しをしてくださっているサイトがありましたので、こちらもどうぞご利用くださいませ。

ウィンザー通信 2015年5月8日のブログ

アレン・ネルソンさんは、日本で憲法第9条の大切さを訴える講演活動を続けていらっしゃいました。番組の中のいくつもの言葉が胸に刺さります。

「人を殺すということは、自分自信の精神や魂の、最も大切な部分をなくすことです。
 私にはもう、この大切な部分はありません。
 人を殺さなければどんなに良かったでしょう。」

「戦争は決して平和をもたらさない。
 すべての戦争が悪いことなのです。」

「平和憲法は、日本人が考え出したものではないとか
 アメリカ人に与えられたものだと言う人がいます。
 しかし、誰にもらったかは問題ではありません。 【中略】
 たとえ宇宙人がくれたものだとしても、これは全人類にとって大切なものです。」

軍隊、軍人、兵士という組織・職業は「平和のためにある」とも言われます。
仮にそれが真実だとしても、そこで働く人が、人としての尊厳を捨てなければ、失わなければ勤められないのだとしたら、それは有りうべからざるものだと思うのです。

現場で自ら考え、判断し、そして次の行動を選ぶ、そのこと自体を否定され、ひたすら命令に忠実になるよう極限状態で叩き込まれる。そうして戦禍に突入し、それでも戦場で人を殺すたびに吐き、退役後も長くPTSDに悩まされる。

そんなところまで人を追い込まなければ実行できないような事
そんなところまで人を追い込んで一生を台なしにさせるような事
それが「人」としてなすべきことでしょうか?

政治的な問題、宗教的な対立など、実際に戦争状態に陥る状況は別の話として、人が人らしくあるための道を外すようなことはすべきではない。シンプルにそう思うのです。
平和ボケと言われようと、井の中の蛙と言われようと、非現実的とそしられようと、やはり基本と理想は見失いたくないのです。

もう一つご紹介しましょう。もう20年以上(30年近く?)前にBBCが制作したドキュメンタリーです。
ネルソンさんと同様にベトナム戦争を体験した後、社会的に適合できず、山中での生活を選んだ人たちを取材した番組です。
Youtube には、三つに分割してアップされていますが、どうぞご覧ください。

「さまよえるヒーローたち -あるベトナム帰還兵-①」
「さまよえるヒーローたち ②」
「さまよえるヒーローたち ③」


軍役時代の影響で、ちょっとした刺激にも過敏な反応をしてしまうため、俗世を離れ森林での生活を選び、そこでやっと落ち着きを感じることができたという帰還兵のことばは悲壮です。

「社会が怖いんじゃない。
 俺が社会で何をしでかすかが怖いんだ」


今様々な形での平和論議が持ち上がりつつあります。
そうした中、「反戦」というテーマ以上に、人の尊厳と平安を見つめていくとどうなるだろう、ということに「表現者」としてはもっと目を向けたいという思いがあるのです。

そこでもう一つ、あるスピーチをご紹介します。
リオ会議(Rio+20)で、ウルグアイ大統領ムヒカ氏が行ったスピーチです。

この会議は地球の環境と未来を議論し合う場ですので、特に戦争と平和について語られているわけではありません。しかし、人が人として生きる目標についてとても明確に話されているというその一点で、ぜひご覧いただきたいのです。



スピーチはスペイン語、字幕は英語ですが、こちらのサイトに日本語の文字輿しがあります。

Hanabi「リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)」

「私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
 幸せになるためにこの地球にやってきたのです。 【中略】
 命よりも高価なものは存在しません。」

Hanabiさん のサイトには、ムヒカ大統領の新しいスピーチもリンクされています。
文字輿しがありますので、よろしければ是非そちらもご覧ください。

その、新しいムヒカ大統領のスピーチから、とても印象的な一説と、この一曲を添えて
私の3日間を終わろうと思います。

「私たちは
 生きている世界は涙の谷で
 死んだらパラダイスにたどり着く
 という思想にはめ込まれて育ってきました。
 天国はいまここなのです! 或いは地獄は今なのです!
 人がより良い暮らしをするには
 いま人生のために戦わなければならないのです。」

John Lennon - Imagine


今回このバトンをお預かりすることが決まった瞬間、私が真っ先に考えたのは「じゃあ何を書こう?」ではなく「じゃあ次はだれに渡そう?」ということでした。そのことも、今まで感じたことがないちょっと不思議な感覚でした。(笑)

私の次にバトンを受け取ってくださったのは、名古屋で様々な活動を展開していらっしゃる「ことばのまなびや」主宰のシンガー・ソング・アクトレス(?)の白樺八青さん。
八青さんは、既に遅筆の私を追い越して、バトンを繋いでくださっています。どうぞ八青さんからのメッセージも受け取ってください。
やお・よろず記

そして劇団文学座の女優さんであると同時に「戦争を知らない世代が描く戦争」というコンセプトでの劇作でも注目されている、山谷典子さん。
全国を飛び回って精力的に活動していらっしゃるいる山谷さんから、どんな言葉が紡ぎだされるか、とても楽しみにしています。
Il est quatre heures.

さあ、3日間が終わりました。
私のつたないブログを最後までお読みくださったみなさま。
本当にありがとうございました。
梅雨というより雨季のようなお天気ですね。
ご近所の幼稚園の園庭にあるねむの木が、今たくさんのふわふわな花をつけています。



さて、パフォーミングアーティストのオーハシヨースケさんからバトンをお預かりし、「心と体の平和」「心と体と平和」についてのメッセージを3日間担当させていただきます。その2日目です。

このメッセージ・リレーは、広島市西区の太光寺の副住職である東和空さんの発案で、天城流湯治法杉本錬堂さんから始まったのだそうです。バトンはメッセージを書いた方から次のお二人の方に託されます。こうしてメッセージを発信する方がどんどん増えてゆくという仕掛けです。今、いったいどのくらいの方がこのメッセージを発信し、どのくらいの方が受けとってださっているのでしょうか? それを想像すると本当にドキドキします。

今日は私が好きな、ある病院のことから始めたいと思います。
好きな病院……自分で書いてみて「ちょっとヘン!」と笑いました。
でも最近こんな感じに触れたのは久しぶり!と思うような素敵な感覚だったので、ここでご紹介させていただきます。

私は子供のころから少しばかり病弱な性質でした。幼稚園、小学生の頃など、かかりつけのお医者さんに一週間も顔を出さないと「おや、あっこちゃん、どうしてたね?」と先生から訊ねられるほどの常連さんだったようです。

そんな地味~に豊富な私の通院歴。
その中でも、最近ちょっと感動的な病院に出会いました。

その病院は私の家から電車で数駅のところにある、あまり大きくないローカルな総合病院です。駅のそばという立地もあり、周囲には背の高いビルがかなり建っているので、入院病棟もあるほどのしっかりしたビルなのに、うっかりすると通り過ぎてしまいそうになるほどの控えめな佇まいです。

自動ドアで、小ぢんまりとしたエントランスを入ると、そこに広がるのは昭和の風景です。
二階に通じる階段の手すりは木製。
診察室の入口の引き戸も、通風窓の枠もサッシも木製。
ちょうど私が子供だった頃の校舎の内装のような、懐かしさあふれる雰囲気です。
もちろんレントゲンだってCTだってちゃんと備えていますから、病院としての機能は全くレトロではありません。念のため……。
ですが、本当にどこか懐かしいような、ほっこりとあったかい空気に病棟全体がつつまれているのです。廊下に並べられた、これまたちょっとレトロな木製のベンチに腰かけて順番を待ちながら、この空気はいったいどこからくるのかしら? と考えていました。
ただのレトロ・マジック?

その答えは、診察を終えて、会計の時にはっきりとわかりました。
名前を呼ばれて、窓口の前に立った私に、係りの方は「$$$円になります。で、これが領収証で、こっちが処方箋ね。どこの薬局でも大丈夫ですけど、一番早くて近いのがよかったら、そこの目の前の薬局で出してもらえますよ」…とご近所の顔なじみに声をかけるような自然な口調で接してくれたのです。特ににっこり微笑んでというわけでもないのに、とてもホッとする対応でした。

そう思ってみてみると、この病院ではお医者さんと看護師さん、看護師さん同士の会話も、とても普通で自然。いわゆる「接客のプロ」みたいな対応の人がいないんです。これは意外に今大切なことかもしれないぞと思いながら病院を後にしました。

最近は「病院はサービス業です」という発想も広がっているそうで、ちょっと大きな総合病院になると、医療事務は業者に委託していて、受付対応のプロが、例えばこんな感じの制服に身を包んで、まさに鮮やかに流れるように処理してくれます。

接客マナーや、クレーム対応の方法も心得ていて、どの窓口に立っても同じクオリティの対応が受けられます。

ですが、ふとした瞬間に「私、なんだか流れ作業の一部にされている」「私、今相手をしてもらってない」という妙な違和感と言うか、孤独感と言うか、独特の気持ち悪さを感じてしまうことがあるのです。みなさんとても手堅く、微笑みをたたえて、何かあれば腰を低くしてサービス精神を見せてくださいますが、そこに堅くて頑丈な「受付嬢」という名の「お面」や「鎧」を見ているように感じるのです。それは、すべての来院者に平等に、もれなく必要な(でも最小限の?)情報を伝え、会計や処方箋の受け渡しなど、必要なことを手際よく行うための工夫を重ねた結果だとは分かるのですが、どうも何だかそこには人間の体温がない……そんな気がしてきてしまうのです。

こうした違和感を感じる場面は、病院だけではありません。
ファーストフードの店員さんの対応にも同じことが言えると思います。彼らは研修の時点で、様々なことを習うそうです。たとえば「笑顔を作るには、奥歯を少し噛みしめて口角を引いて」とか「声は高めに、テンポよくはきはきとしゃべって明るい印象に」とか……。そして有名な販促トークの数々を仕込まれて店頭に出ます。



店員「いらっしゃいませ、ご注文をどうぞ~」
客「えっと、ハンバーガーを10個と、フライドチキンを20ピース、あとコーラを8個 コーヒー、アイスで4つね」
店員「こちらでお召し上がりですか?」
客「…? んなわけないだろ!? 持って帰るよ!」
店員「エコ包装にご協力ください、手提げ袋は必要ですか?」
客「入れなきゃ俺一人でどうやって持ってくのよ!?」

なんていうコントがありましたが、こんなネタが出てくる背景にも、店員さんのやり取りがマニュアルをなぞるだけになっていて、相手をちゃんと見ない、聞いていないリアクションを体験した方がたくさんいたからですよね、きっと。(笑)

人と人とが向き合う場面にマニュアルという名の仮面を用意する。
そうすることでいちいち考えなくても安心して必要なことだけに、必要な対応をすることを容易にするシステム。
これには経済的な効果はあるかもしれませんが、人と人との関係は逆に希薄にします。
希薄というのでは言葉が足りないかもしれません。人を人扱いしない、コミュニケーションとは呼び難い関係を登場させているのかもしれません。

また、最近の若い方たちの日常会話にも似たような現象を感じることがあります。

少女A「きのうさあ、@@@@で***なことがあってさあ!」
少女B「なにそれ、超うけるんですけど」
少女A「でしょ! もううけるっきゃないって感じ」
少女B「もう、まじうけ!」

少年C「俺がさあ、####しようとしたらさあ、Dの奴%%%しやがってもう超ムカつく」
少年E「ありえねえ! %%%マジかって感じジャン」
少年C「マジありえねえ!」
少年E「Dの奴 かなりヤバくねえ?」
少年C「ヤバい! もうめっちゃヤバイ!」

どちらも相手のコメントに同感、共感しているように見えますが、そこから相手の話題に入っていく気配を感じません。はたで小耳にはさんだ私の方が、耳をダンボにして「それで? なんでそうなったの? そっからどうなったの?」と聞きたくなるのですが、あまりその先には触れずに会話は続きます。また「うける」とか「ムカつく」というような言葉が単なる記号、サインになっていて、なににどう「うける」のか「ヤバい」のか「ムカつく」のかには全く触れずに通じ合った気分になっているようにも見えるのです。

上の会話をエッセンスだけにすると、どちらもさしずめこんな感じです。

Ⅰ「こんなことがあってこんなきもちなんだけど わかってくれる?」
Ⅱ「Yes」
Ⅰ「Yes !」
Ⅱ「Yes !」
Ⅰ「Yes !!」
Ⅱ「Yes !!」

このスパイラルに入り込むと、もう「Yes !」以外のことをさしはさむのは憚られるようなムードが簡単に出来上がりそうです。

さらに最近流行りのスタンプにも同じような効果があると思います。
「このスタンプがつているならこう感じている」というお約束の印。
とても端的に気分を伝えることができるという便利さがある反面、本当に本人がその時何を感じているかには全く触れずに会話の波に乗ることができるという、ある意味恐ろしい側面も持っていると思います。

「クォータースターコンテスト」という、ネット上で15分ノーカットの演劇動画を競うイベントで、昨年(第3回)のグランプリを受賞したのが、まさにそんなポイントを衝いたてもユニークな作品でした。
週刊パラドックスというグループの「会話劇2014」です。
ご覧ください。



マニュアル対応、お決まり、お約束の反応を迫られる関係、これはとても苦しいと私は思います。その胸の内の苦しみが積もり積もった挙句に何が起こるか? 自分自信でもその苦しみの始まりがどこだったのか、それすらわからなくなるようなところまで行ってしまった末に、何かの事件や病気に発展する可能性もありはしないでしょうか?
そんなあたりが現代の日本にある(もしかしたら世界にかもしれません)、人の心とコミュニケーションの課題かもしれません。

人はいつでも私とは違うところを見、私とは違うことを感じている。
そのことをもっと大切にする目と心を持ちたい……

私にバトンを回してくださったオーハシヨースケさんの言葉をちょっとお借りすれば、同じ方を向いて、並んで同じものを見られるような「親友の立ち位置」に辿り着けることは、とても幸せなことなのだと思います。

そうなれるまでの試行錯誤……それを恐れないコミュニケーションに立ち向かう力が、今求められているのかもしれません。
いつもの私のブログにはない、ちょっと深遠な、趣のあるタイトルでスタートしました今日のブログです。



これは、広島市西区の太光寺の副住職である東和空さんの発案で、天城流湯治法杉本錬堂さんから始まったウェブによるメッセージ・リレーです。
バトンを受け取ったか人が3日間こころとからだの平和について思うところを書き、そのバトンをまた次のお二人の方に渡してゆくそうです。

……ということは、メッセージを発信する方が、日増しに増えてゆくということですね!!
今、いったい何人の方がこのバトンを受け取って「心と体の平和」についてメッセージを送っているのでしょう? それを思うとなんだか不思議な気持ちになります。ポーンと宇宙の真ん中に飛び出して、周りでチカチカと信号を発する星々を見ているような気分です。

今日から3日間、パフォーミングアーティストのオーハシヨースケさんからこのバトンをお預かりし、メッセージを書かせていただくことになりました。どうぞよろしくお付き合いくださいませ。

さて、第一日目に何を書こう?
……いろいろ考えましたが、まず自分の得意分野から始めようと思います。

私は音楽大学を卒業しました。リトミックを専攻する学部に在籍して、音楽と体と表現のつながりについて学びました。4年間の学生生活の中でたくさんの印象的なことを教えていただきましたが、音楽心理学の授業で先生がおっしゃったこの一言は今でも時々思い出します。大命題!と言うことではないのですが、トリビア的におっしゃった先生の一言が私にはとても意味のあることとして今も心に残っています。

「音楽が人を感動させるのは、そこに日常とは違う呼吸があるからです。」

例えば、息を吹き込んで音を出す管楽器で、あるフレーズを演奏すると、そこにはいつもよりも強くて長い呼吸が生まれます。その演奏者の呼吸に聴く人が誘い込まれると、自分も同じような「いつもと違う呼吸」をしようとする。そうすると、それが酸素供給のメカニズムとしては異常なと言うか、ある種の非常事態を呼ぶわけですね。その「大変だ!」感が、感動にかわるんです。

なるほど……。
そうだったのか。

ちょっと端折った説明になってしまいましたが、伝わりますでしょうか?
その時の私は結構素直に感心したのを覚えています。

音楽が人のからだや意識にもたらす作用について説明したものに、もう一つ印象的なことがありました。私が専攻していたリトミックの実習の中にあった音楽のキャラクターに関することです。

音楽の三要素は「メロディ/旋律」と「リズム/律動」と「ハーモニー/和声」です。それぞれに、個性を持った運動を呼び起こします。

メロディ、特に単旋律は、人に集中と上昇感を意識させます。
それに対してリズムは原初的な興奮と、大地へ根ざす下への動きを生み出します。ビートを感じると、自然に足を踏み鳴らしたりしますよね。あの感じです。
そしてハーモニーが広がりを生じさせ、カタルシスを感じさせます。

この三要素の個性を感じていただくために、二つのアメリカ国歌を比べてみましょう。まずはオーケストラの伴奏とコーラスによる演奏です。(演奏は10秒過ぎから始まります)



いかにも力強い、高揚していく開放感のある曲だと思います。広がってゆくハーモニー、シンプルに強調されるビート(拍)、それがこの曲が持つ基本的なキャラクターだと思います。

では同じ曲を、こんどはア・カペラ(無伴奏)の独唱で聴いてみましょう。この曲の持つ主要なキャラクターがリズムとハーモニーから、メロディにとってかわります。


歌っているのが9歳の女の子だというのにも感動ですが、それはさておいても、聴衆がとても集中しているのにお気づきかと思います。
メロディが持つ個性が最大限に発揮されている演奏なのではないでしょうか。
 
同じ曲でもこんなに心への響き方が違う……それを感じていただければ嬉しいです。
 
日常の様々なところで、この「三要素」の効果は応用されています。
 
例えば、ファーストフード系のお店やファミリーレストランのBGMは大概アップテンポでリズムが強調されているものが流れています。来店者が開放的になって、しかもゆったり落ち着くことがないので、客単価アップに加え、回転率アップにも一役買うという仕掛けです。ゆったりと食事を堪能できるような空間を演出しようと思ったら、もっと違う選曲になるはずです。
 
同じような例で極端なものはパチンコ店のBGMとよく言われます。
例えば一昔前なら軍歌がよく流れていました。リズム感があり、テンポも速い曲が来店者をあおります。「軍艦マーチ」なんかが昭和のパチンコ屋のテーマ曲のようなイメージなっていましたね(懐かしい…)。同じ軍歌でもテンポが遅くリズムが強調されない「海ゆかば」なんかは絶対にかかりません。(笑)
 
スーパーマーケットのようなお店でかかるBGMもかなりリズミカルです。特にお店が混んできたときにかかる曲に耳を澄ましてみてください。「この曲が鳴ったら、レジに人がたくさん並んでいるのでヘルプが必要!」と言う合図の曲がどのお店でも決まっているそうですが、私がよく利用するスーパーではビートルズの「ヘルプ!」がその合図の曲になっています。わかりやすいです。(笑)
軽快なアレンジにはなっていますが、BGMのテンポが上がることで、来店者の動きのテンポも上がっているのかもしれません。
 
逆に病院やマッサージなどの施療施設では、来院者を落ち着かせ、リラックスしてもらうためにゆっくりなテンポで、あまり厚いハーモニーや強調されたリズムがないBGMが流れています。いわゆる癒し系の音楽と言われる類の音楽が、そうした特徴を持っています。
 
ここで、こうした「三要素」の効果を非常によく応用しているなあと私が感じている曲を、お聞きいただきたいと思います。
それは日本の国歌「君が代」です。


この曲は、自然に人に威厳を感じさせる編曲がされています。
 
まず、テンポは国歌としては非常にゆっくりです。
ビート感は強調されていません。
 
冒頭はユニゾン(単旋律)で始まります。聞く人に集中と上昇のイメージをもたらします。
次のフレーズでハーモニーが加わります。聞く人に広がりを感じさせます。
やがてゆっくりとしたドラムのビートとローリングが入ってきます。
リズムが加わることで高揚感を感じさせますが、踊りださせるような開放的なリズムではありません。
そして曲の終盤は再びユニゾンに戻ってきます。加えて下降形の旋律となります。これが再び集中を呼び起こします。
 
これをリトミック風に動きにしてみると
手のひらを合わせて腕を上へのばすイメージ。
次にその腕を開いて開放すると、天を仰ぐような形になります。
最後にその手をおろし再び手のひらを合わせると、ちょうど祈るような形になります。
終始、ステップを踏みたくなるようなリズムの躍動感はありません。
 
これが君が代の構造です。
 
歴史的な、あるいは政治的な意味でこの曲をどうとらえるかは、さまざまご意見があると思いますが、それとは全く関係なく、リトミック的に解釈を加えると、この曲には、人をとらえて集中させ、天を仰がせ、またその思いを胸にこうべを垂れて集中させるような仕掛けが施されていると思います。
 
このことに気が付いた時「なんてうまくできてるんだ!」と感動したのを覚えています。

そしてこれにも対極のアレンジを加えた演奏があります。
忌野清志郎の「君が代」です。


 
オリジナル「君が代」の真逆をいった、完全リズム強調バージョンです。
こうなると、演奏の間中、聴衆の身体が止まることがありません。
全身で音楽に反応し、君が代をシャウトしています。
見事です。その見事さゆえに(?)不敬だという強烈なバッシングを受けましたね。

「人を感動させるにはしかるべき構造が必要です。」
 
そう言ったのは楽理の先生だったでしょうか? 当時は大して興味を持たなかったように思うのですが、今なんか急に思い出しました。
 
この文章に結論はありません。
 
人の心に平安を与えることがよいのか、躍動感や高揚感が必要なのか……
一つの答えに収束してゆくようなものではないと思います。
ですが、心と体、外からの刺激とその反応、つながっているんだなあ、ということにどこかで手が届いていればうれしいです。
 
明日……また何を書きましょうか?
 
とりとめのない内容にお付き合いくださってありがとうございます。
   
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