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あおさんのブログ

こんにちは テアトル・エコーの青柳敦子です。「ぐるっぽ・ちょいす」というユニットで、舞台作品を作ります。ワークショップも開催します。人と人とのふれあいと、笑いを求めて今日も行く!! 一匹狼の演出家です。

   
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今年は仕込みの年!
来年以降の公演のために、しっかり準備するぞ~!

……と、2月の本番が終わった時点で心に決めていたのに……

そんな時に限って、お仕事というのは舞い込んでくるものなのですね。
縁は異なもの……でございます。

来る10月6日(土)から8日(月・祝)の3日間
恵比寿のガーデンプレイスで「恵比寿文化祭2012」なるイベントが開催されます。
音楽、ダンス、アート、歴史、遊び、サイエンス!?
いろんなものを恵比寿中から寄せ集め、かき集め(?)、プロもアマチュアも一緒になって、文化の秋を楽しもうという企画です。
気分はまさに、あの懐かしいお祭り騒ぎの『文化祭』です!!

この「恵比寿文化祭2012」に、恵比寿にアトリエを持つ劇団として、テアトル・エコーも参加することになりました。私は縁あって、小川こういち氏と二人、劇団を代表して企画立案と進行にあたっています。

どんなコンテンツで来場してくださる皆さんと遊べるか? 皆さんをびっくりさせられるか? 楽しんでいただけるか?
企画書を書いたり、ブレストしたり、会議に参加したり、稽古をしたり……突然大わらわの忙しさになってしまいました! でもやっぱりこういう忙しさは、がぜん自分を生き生きさせてくれるのですよね。

まったく……コリもせずに何度でもこんな現場に飛びこんじゃうんですから……私ってば、肝いりの「3日やったらやめられない」タイプです。

ちなみにこちらは、
昨年開催された「恵比寿文化祭2011」の様子を伝えてくれる
NPO法人シブヤ大学
START EBISUのサイトです。

今年の文化祭の詳細も、もう少ししたらお知らせできると思います。
どうぞみなさんお楽しみに!!

そしてぜひ、恵比寿に遊びにいらしてください!!


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8月は、ブログの更新をサボってしまいました。(^_^;)
暑い夏でした。(まだ暑いですが…)
ちょっと熱くなった夏でもありました。(まだ熱いつもりです)

ひと夏、エアコンを使わない生活をしてみました。
いろんなことがわかりました。
そして、失ったものは……ないみたいです。

減ったものといえば、体重と…(ほんのちょっぴりですが(^_^)v)
あとは電気代と、ガス代(こちらは両方ともかなりのものでした)ですね。

たまたま我が家は風通しに恵まれていたので、過ごしやすかったのかもしれません。
上の階の冷房のおこぼれで、ちょっと得をしたかもしれません。
体調やいろんな事情で、やらない方がいい方、ぜひ冷房を使うべき方もあると思います。

でも、きっと、来年もやるな、家は……この調子だと……

エアコンを使わなかったことで、私は汗をかくのが上手になったようです。
『うえつかた』の常識では、「人前で汗をかくのは見苦しい」という発想もあるようですけれど、暑くなったときにちゃんと汗をかけるというのは、やっぱり気持ちがいいですね。

ここ数年、自分が率先して運動するという環境から離れていたので、自分が自分のために動く楽しさを忘れかけていました。それを今年の汗がまた思い出させてくれたみたいです。
ずっと継続して運動を続けている方から見れば、本当にだらしのない話だと思われるだろうなあ(-_-)と反省しつつあるこの頃ですが、いろいろな意味で、動ける時期と状況が整ってきて、ようやく動けるステージができあがってきたみたいです。

だから、さあ動こう。
そのために、ちゃんと気持ちよく汗をかけることはとっても大切!!
体にも、心にも、しっかりね。


エコと、ささやかながら反原発アピールのために、ノーエアコンな夏をお試し中です。

現在室温は32度ありますが、ベランダから玄関まですっかり開け放って風が通っています。
涼を呼ぶものといえば……
扇風機が1台(狭い我が家なので……)
ベランダによしずを掛けて
そしてこの快感を覚えてしまいました。水風呂……いわゆる行水ですね、水浴びです。

あと、強力な助っ人になってくれているのが上の階の住人さん。
つい先日まで空いていたのですが、ご家族が入居なさって、専業主婦の奥さまがずっとおうちにいらっしゃるんですよ。そうすると、一日中彼女がすごしやすい環境にお部屋を整えているわけですよね。
おかげ様で仕事から帰ってきても、去年の夏悩まされた、ムッと熱のこもった空気に部屋中が満たされる…ということが軽減されているのです!!
恐るべし。いや、ありがたや。ご近所さんエアコン。
思わぬところでエコの素でした。

夜、あちこち閉めなければいけない時だけ、一度ためしにエアコンを入れてみたのですが、ノーエアコンに親しんでしまうと、エアコンの冷気はいかにも不自然な涼しさで、どうも「汗をかいている方が気持ちいい」という感覚になるから不思議です。

それに、エアコンをつけた途端、汗をかかない温度まで冷やしたくなる衝動が出てくるのも不思議です。
どうやら、エアコンつける=汗なんかかない快適温度、とでもいう感覚になるみたいです。
それがどうも不自然だという考えに思い至りました。

結果、寝る時も、扇風機にタイマーをかけ、ベランダを網戸にしておく…というのがベストな過ごし方になってきました。

今日は玄関網戸を買いに行く予定です。
これで蚊取り線香依存度も下がるものと思われます!

さて、このまま8月を乗り切れるでしょうか?
熱中症にだけは気を付けて、こまめに水分は取ろうと思ってます!
みなさまも、お元気で夏を乗り切りましょう!!


最近、ワークショップのインストラクターをやっていて発見したことは、みんな「疑い方」を知らないんだ! ということです。

例えば、ある小説や童話、戯曲を読み解こうとするとき、その作品の「あとがき」に何か書いてあると、まずそれを鵜呑みにして疑わない。
無理をしてでもそれを礎にして作品解釈を成り立たせようとする。

それから、参考資料にする文献にしても、インターネットや本に書いてあることをほんとにそのまま真実だと思ってしまう。
大学の卒論なんかでも「wikipwdia」の情報をそのまま引用したりすることが問題になっていましたね。

あとは、作品中に書いてあることが、言葉として知っていることだと、もう疑わない。
仮に調べても、一義的な意味が分かったところで、深く調べずに満足してしまう傾向も見受けられる。

とても残念なことです。

「なぜ?」は本当にミラクル・ワードだと思います。
「どうしてだろう?」という興味は「わかりたい!」という欲求になります。
その欲求が強ければ強いほど、たくさんのことを調べるでしょう。
ある時は文字を通して。
ある時には実験や実習を通して。
さらにある時には取材やディスカッションを通して。
そうして手に入れた結果は、そのプロセスも含めて、その人のオリジナルなものになるはずです。
そのことがとても貴重なことですよね。

例えば……「リンゴは赤いです」という文章を見て、「本当にそうかな?」「どうしてだろう?」と、あえて「ハテナ?」をつけてみる。そこから旅が始まるわけですよね。

きっとある人は「リンゴの果実は、若いときには緑色だ。皮をむけば白い。なのに赤いという言葉でひとくくりにしていいのかな?」と思うかもしれません。
別のある人は「どうして人間の目には『赤い』と映るんだろう?」と思うかもしれませんし、「何がこの実を赤くしているんだろう?」と思う人もあるかもしれません。

そしてそれぞれの出発点からそれぞれのルートをたどって、結果的に元の通り「リンゴはやはり赤かった」という答えに行きついたとしても、その答えが持つ意味は、限りないオリジナリティが含まれた、ユニークなものになっていると思うのです。

そうそう、何かに意見を求めた時に「私も、〇〇さんと同じなんですけど」とか「先に言われちゃったんですけど」といって自分の意見を簡略化して話そうとする傾向もありますね。
これももったいない。
「同じでも、あなたの意見をあなたの言葉で話してください!」と促すことになるのですが……。

たとえ同じ言葉を思い浮かべていても、同じ選択肢を選んでいても、あの人の答えと、わたしの答えは、同じじゃない!

そのことの大切さにもっと気づいてほしい! そう思います。

そしてその違いをシェアしあい、お互いの違いを受け入れあって初めて、コミュニケーションへの努力が始まるのだと思います。
他人と付き合うのは簡単じゃない。知恵もエネルギーもいる。そのためには「疑問」と「興味」を持ってほしい。
動いてほしい。そしてユニークなもの、たった一つのものにたどり着いてほしい。そう思う。
さらに、自分もそうあらねば!! あり続けなければ!! と思うのでございます。


ほぼ一か月ぶりのブログ更新です。

今年は仕込みの年。
で、目立った創作活動がありません。
数本の脚本や、プロジェクトのプランをああでもないこうでもない考えていると、どうしてもも内省的になってきて、気楽に書き表せることや、しっかりと自信を持って公表できることが少なくなってくるみたいです。

なので、ちょっと演劇から離れて、最近、物思うことなどを書いてみようかなと……

徒然草というか……
道草というか……

そんな感じです。

というわけで……さて……
最近思うのですが、駅の構内や、様々な家電製品の合図に、音楽というかメロディというか、そういうものが使われるのが、なんとも気になってしょうがありません。

たとえば、お隣の家の…たぶん洗濯機なのですが、作業が終わると、例のよくあるデジタル音でポンポロピンピンポンポロポンポン…と軽快なメロディが流れるのですが、それがモーツアルトのピアノソナタ11番の第一楽章。



とても有名な素敵な曲なんですが、電子音のメロディだけ、しかもえらいアップテンポ……オリジナルのムードまるでなし!! なのでございます。
完全に音楽をただの「合図の信号」にしてしまっている。
最初に聞いた時には吹き出しました。ほとんど爆笑ものでした。
そしてなんだか腹が立ちました。
なんであの曲がこんなになっちゃうの? と悲しくなりました。

それでもまだフレーズのキリのいいところまでなるからいいようなものなのでしょうか?
駅の構内で鳴る「発車ベル」にされる音楽はもっと扱いがひどい!! メロディの途中でぶっつり切られたり、全然違う調の他のホームの音と重なったり……もう音楽としての尊厳なんてゼロ!って感じがします。

音楽には、ちゃんと文法のようなものがあって、行くべきところや収まるべきところまできちんとたどり着いてようやくしっくりするものなのに、それをあまりにも無視されすぎているような気がするのです。

たとえば、「間もなく電車が発車します」というアナウンスを「間もなく電車が発車し…」と、途中でぶっつり切られたり、「間もなく電車がはつ、車がはつ、車がはつ、車がはつ」なんてぶつぶつ繰り返されたりしたら、「なんじゃそりゃ!?」って思いますでしょう? 音楽だって同じなんですよね。

そういうところに繊細になってもらうことはできないのだろうか?

そんなことを思いながら、氾濫する音に耳を奪われております。

かく言う我が家のお風呂がわいた時の合図の音は、エステン(オースティン)作曲の『人形の夢と目覚め』の中間部(夢の世界に入ったところね)。一応テンポや音の構成はオリジナル通りだし、オルゴール音なのも、オリジナルとそんなみにミスマッチではないので大目に見ています。(-_-;)


   
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