あおさんのブログ
こんにちは テアトル・エコーの青柳敦子です。「ぐるっぽ・ちょいす」というユニットで、舞台作品を作ります。ワークショップも開催します。人と人とのふれあいと、笑いを求めて今日も行く!! 一匹狼の演出家です。
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先日ちょっとおもしろいことがありました。
実はあるお薬の副作用に関することなのですが…
咳止め、風邪薬として、処方される事が多いというこのお薬。
フラべリック錠 (ファイザー製薬)です。
この薬を飲むと、聴覚障害を起こすことがあるそうです。
と言うと、非常にものものしく聞こえますが、服用中と服用後の一時期「音が低く聞こえる」という変化が見られるのだそうです。
この副作用、製薬会社も認め、近年説明書にもきちんと掲載されるようになっています。
私が見つけた面白いことと言うのは、直接副作用を告発するようなたぐいのものではありません。
その副作用を感じる人と、感じない人との間に生まれた「認識の差」とでもいうようなものに、とても興味深いことを見つけたのでございます。
それが、タイトルにも書きました、知らないことは「ないこと」のように感じる、人の思い込み(自己正当化かな?)の思考パターンです。
この副作用は、つい数年前までは公には認知されていませんでした。
患者さんが「音がおかしい」とお医者さんに訴えても「そんな症例も、副作用の記録もありませんねえ」で済まされてきてしまっていたようです。
なぜ、認知が遅れたのか?
それは、この副作用をキャッチできるのが、絶対音感を持った人たちだけだからです。
普通は、周囲の音がちょっと低めに聞こえたところでたいした事件ではありません。
また、人の声がちょっと低く聞こえるぐらいなら、「今日はテンション低いのかなあ?」ぐらいで済まされるかもしれません。
しかし、絶対音感のある人にとっては、玄関のチャイム、目覚まし時計、聞きなれた音楽、などなど、周囲にあふれるあらゆる音が微妙にいつもと違うピッチで聞こえてくるというのはとても嫌な違和感があるものなんです。
本当に気持ち悪いです。
大多数の人が感じない、つまりある種のマイノリティだけが感受する症状だったこと、そして、Twitter のような、情報の発信とスピーディーな集約を可能にするようなネットワークが、つい最近まで存在しなかったこと、こうした理由のせいでこの副作用は報告されることがなかったのではないでしょうか。
でも症状はあった。ずっとあったはずです。
ここで私が興味を持った一言が登場します。
症状を感じた人たちのツイートに応える形で、製薬会社の方が、副作用として認定するまでに「情報の集積が」必要だったことを伝え、丁寧な文面で「ご迷惑をかけたことへのお詫び」をツイートしていたのですが、そこにこんな一言がありました。
>皆様の「音」に関する感覚がここ30年で飛躍的にあがっているのではないかと思います。
この一言に「ムムッ??」と思いました。
音感が飛躍的に上がっている???
ここからは私の想像、確かなデータのない部分でもありますので、説得力にはちょっと乏しいのですが…
絶対音感の持ち主が、飛躍的に増えているなんていうことはないんじゃないかと思います。
もしそうなら、音大を受験してくるような人の「絶対音感率」なんて、もっと感動的に上がっていてもいいはずですが、そんなことは起きていません。
じゃあ何が起こっているのか??
発言の主の周囲に、それを主張する必要のある人がいなかったというだけのことではないでしょうか?
30年前、絶対音感という言葉は、まだそんなに「誰でもが使う言葉」ではありませんでした。
でもそれと、絶対音感を持っていた人が少なかったということとは全く違う話です。
私の母は、昭和ひとけた生まれで、本人も全く認識していませんが、絶対音感の持ち主です。
小学校のピアノをちょうど調律した後に父兄会に行ったりして「あら先生、ピアノ調律しました?」なんて聞いて音楽の先生をびっくりさせたこともありました。
でも音楽的な素養はなし!
楽器の演奏もしませんし、カラオケなんて行ったこともないと思います。
それでも絶対音感は彼女の中にあります。確かにあります。
彼女は「知らない」。だけど絶対音感が「ない」わけじゃない。
同じように、ツイートの主の周りには、絶対音感がある人が「見えなかった」。
でもそれは、そういう人が「いない」と言うこととイコールじゃない。
たまたまTwitter で同じ症状を訴える人がつながることができた。
すると同じ症例が、ダダーっと列をなして「見えて」くる。
でもそれは、今「出てきた」わけじゃない。
それを「皆様の聴覚が飛躍的にあがってきた」というふうにくくられると、絶対音感ありの人生を送ってきた者として、非常に「違うんじゃないかあ!!?」と言いたくなるわけでございます。
人間だれでも自分を中心にした物差しで世の中を見ていると思います。
自分のまわりにたくさん情報があるもの、自分が興味を持って情報を集めているものはちゃんと「ある」と認識するけれど、そうではないものは視界になかなか入らない。それを「ないもの」と決めてかかるのは非常に危険なのだなあ……と感慨深くかみしめておりました。
自分の物差し。
自分の常識。
自分のテリトリー。
その外側にももっと大きな世界があることを、忘れないように、肝に銘じておかなくちゃ!!
そう思ったエピソードでした。
実はあるお薬の副作用に関することなのですが…
咳止め、風邪薬として、処方される事が多いというこのお薬。
フラべリック錠 (ファイザー製薬)です。
この薬を飲むと、聴覚障害を起こすことがあるそうです。
と言うと、非常にものものしく聞こえますが、服用中と服用後の一時期「音が低く聞こえる」という変化が見られるのだそうです。
この副作用、製薬会社も認め、近年説明書にもきちんと掲載されるようになっています。
私が見つけた面白いことと言うのは、直接副作用を告発するようなたぐいのものではありません。
その副作用を感じる人と、感じない人との間に生まれた「認識の差」とでもいうようなものに、とても興味深いことを見つけたのでございます。
それが、タイトルにも書きました、知らないことは「ないこと」のように感じる、人の思い込み(自己正当化かな?)の思考パターンです。
この副作用は、つい数年前までは公には認知されていませんでした。
患者さんが「音がおかしい」とお医者さんに訴えても「そんな症例も、副作用の記録もありませんねえ」で済まされてきてしまっていたようです。
なぜ、認知が遅れたのか?
それは、この副作用をキャッチできるのが、絶対音感を持った人たちだけだからです。
普通は、周囲の音がちょっと低めに聞こえたところでたいした事件ではありません。
また、人の声がちょっと低く聞こえるぐらいなら、「今日はテンション低いのかなあ?」ぐらいで済まされるかもしれません。
しかし、絶対音感のある人にとっては、玄関のチャイム、目覚まし時計、聞きなれた音楽、などなど、周囲にあふれるあらゆる音が微妙にいつもと違うピッチで聞こえてくるというのはとても嫌な違和感があるものなんです。
本当に気持ち悪いです。
大多数の人が感じない、つまりある種のマイノリティだけが感受する症状だったこと、そして、Twitter のような、情報の発信とスピーディーな集約を可能にするようなネットワークが、つい最近まで存在しなかったこと、こうした理由のせいでこの副作用は報告されることがなかったのではないでしょうか。
でも症状はあった。ずっとあったはずです。
ここで私が興味を持った一言が登場します。
症状を感じた人たちのツイートに応える形で、製薬会社の方が、副作用として認定するまでに「情報の集積が」必要だったことを伝え、丁寧な文面で「ご迷惑をかけたことへのお詫び」をツイートしていたのですが、そこにこんな一言がありました。
>皆様の「音」に関する感覚がここ30年で飛躍的にあがっているのではないかと思います。
この一言に「ムムッ??」と思いました。
音感が飛躍的に上がっている???
ここからは私の想像、確かなデータのない部分でもありますので、説得力にはちょっと乏しいのですが…
絶対音感の持ち主が、飛躍的に増えているなんていうことはないんじゃないかと思います。
もしそうなら、音大を受験してくるような人の「絶対音感率」なんて、もっと感動的に上がっていてもいいはずですが、そんなことは起きていません。
じゃあ何が起こっているのか??
発言の主の周囲に、それを主張する必要のある人がいなかったというだけのことではないでしょうか?
30年前、絶対音感という言葉は、まだそんなに「誰でもが使う言葉」ではありませんでした。
でもそれと、絶対音感を持っていた人が少なかったということとは全く違う話です。
私の母は、昭和ひとけた生まれで、本人も全く認識していませんが、絶対音感の持ち主です。
小学校のピアノをちょうど調律した後に父兄会に行ったりして「あら先生、ピアノ調律しました?」なんて聞いて音楽の先生をびっくりさせたこともありました。
でも音楽的な素養はなし!
楽器の演奏もしませんし、カラオケなんて行ったこともないと思います。
それでも絶対音感は彼女の中にあります。確かにあります。
彼女は「知らない」。だけど絶対音感が「ない」わけじゃない。
同じように、ツイートの主の周りには、絶対音感がある人が「見えなかった」。
でもそれは、そういう人が「いない」と言うこととイコールじゃない。
たまたまTwitter で同じ症状を訴える人がつながることができた。
すると同じ症例が、ダダーっと列をなして「見えて」くる。
でもそれは、今「出てきた」わけじゃない。
それを「皆様の聴覚が飛躍的にあがってきた」というふうにくくられると、絶対音感ありの人生を送ってきた者として、非常に「違うんじゃないかあ!!?」と言いたくなるわけでございます。
人間だれでも自分を中心にした物差しで世の中を見ていると思います。
自分のまわりにたくさん情報があるもの、自分が興味を持って情報を集めているものはちゃんと「ある」と認識するけれど、そうではないものは視界になかなか入らない。それを「ないもの」と決めてかかるのは非常に危険なのだなあ……と感慨深くかみしめておりました。
自分の物差し。
自分の常識。
自分のテリトリー。
その外側にももっと大きな世界があることを、忘れないように、肝に銘じておかなくちゃ!!
そう思ったエピソードでした。
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Facebookで繋がっているマレーシアの女優・演出家のジョー・クカサスさんのプロフィール写真。それが突然、真黒になってしまっていた。
あれ? どうしたんだろう? アクシデントかな? 何か操作を間違っちゃったかな?
と思いつつ本人の写真に飛んでみたのですが……
そこにあったコメントは、こんな内容でした。
“投票の結果を操作されてしまうということは、自分のプロフィール、パーソナリティを真黒に塗りつぶされてしまうのと同じことです。”
それは、5月5日に投開票された、マレーシア総選挙の結果への抗議行動でした。
選挙は与党が勝利宣言をしましたが、その開票作業に於いて不正があったのではないかと指摘されているというものです。
参考記事:MSN産経ニュース
他にも何人もの方たちが、同じようにプロフィール写真を真黒に「Black Out」させていました。
このアクションからなにが始まるのか。何か起こせるのか。
何かを変えられるのか。
ついついそんな風に思ってしまう自分に、ちょっと考えてしまいました。
意見があるなら声を上げる。
声が聞こえたら繋がってみる。
その輪が広がることを信じてみる。
そして本当に波紋が広がる。
やがて何かが動きだす。
いつか……。
それは、とても基本的な社会行動のスタートライン。
それを信じていない自分って???
今、何か目的を持っているとしたら、そのためにはまず声をあげて、その声が広がるように、自らが「働く」ことから始めなければいけないのですよね。
どことなく高校生の作文のような、やけにピュアな文面になってしまいましたが……でもなんだか、その力が不足してないか自分? と思った一瞬でした。
その後、彼女のプロフィール写真はまた変わりました。
その代わりに、カバー写真が「Black Out」してました。
意思表示はまだまだ続くようです。
マレーシアでは黄色は王家を表す高貴な色なのだそうです。
そしてどうやらこの色に、次のアクションのイメージも込められているようです。
”落ちついて、そして、次の一歩を踏み出しましょう”
そんなメッセージが込められているように感じました。
「PARAH」は、5月16日から再演されるの彼女の演出作品のタイトルです。
この作品は、”The Boh Cameronian Arts Awards” で、ベスト・パフォーマンス賞と、そしてジョー・クカサスさん自身がベスト・ディレクター賞にノミネートされています!
さらに、彼女が演出した作品「Nadirah」に出演していた俳優さんが、主演俳優賞、助演俳優賞にノミネートされています。
すごいです!
あれ? どうしたんだろう? アクシデントかな? 何か操作を間違っちゃったかな?
と思いつつ本人の写真に飛んでみたのですが……
そこにあったコメントは、こんな内容でした。
“投票の結果を操作されてしまうということは、自分のプロフィール、パーソナリティを真黒に塗りつぶされてしまうのと同じことです。”
それは、5月5日に投開票された、マレーシア総選挙の結果への抗議行動でした。
選挙は与党が勝利宣言をしましたが、その開票作業に於いて不正があったのではないかと指摘されているというものです。
参考記事:MSN産経ニュース
他にも何人もの方たちが、同じようにプロフィール写真を真黒に「Black Out」させていました。
このアクションからなにが始まるのか。何か起こせるのか。
何かを変えられるのか。
ついついそんな風に思ってしまう自分に、ちょっと考えてしまいました。
意見があるなら声を上げる。
声が聞こえたら繋がってみる。
その輪が広がることを信じてみる。
そして本当に波紋が広がる。
やがて何かが動きだす。
いつか……。
それは、とても基本的な社会行動のスタートライン。
それを信じていない自分って???
今、何か目的を持っているとしたら、そのためにはまず声をあげて、その声が広がるように、自らが「働く」ことから始めなければいけないのですよね。
どことなく高校生の作文のような、やけにピュアな文面になってしまいましたが……でもなんだか、その力が不足してないか自分? と思った一瞬でした。
その後、彼女のプロフィール写真はまた変わりました。
その代わりに、カバー写真が「Black Out」してました。
意思表示はまだまだ続くようです。
マレーシアでは黄色は王家を表す高貴な色なのだそうです。
そしてどうやらこの色に、次のアクションのイメージも込められているようです。
”落ちついて、そして、次の一歩を踏み出しましょう”
そんなメッセージが込められているように感じました。
「PARAH」は、5月16日から再演されるの彼女の演出作品のタイトルです。
この作品は、”The Boh Cameronian Arts Awards” で、ベスト・パフォーマンス賞と、そしてジョー・クカサスさん自身がベスト・ディレクター賞にノミネートされています!
さらに、彼女が演出した作品「Nadirah」に出演していた俳優さんが、主演俳優賞、助演俳優賞にノミネートされています。
すごいです!
毎度のことながら、久しぶりのブログ更新です。
新しい年度に入って1ヶ月……
先日のブログで、ITI/国際演劇協会に入会したことをご報告しましたが
そこでの私の初仕事が形になって手元に届きました。
「THEATRE YEAR-BOOK 2013 -Theatre Abroad/諸外国の演劇事情」という国際演劇協会編纂の年鑑です。
←こちらがその年鑑です。
日本を含む29カ国の演劇シーンで起きたことがらが報告されているのですが
今回私は、日本の演劇事情を紹介する章から「能・狂言」「歌舞伎・文楽」「日本舞踊」の各章の英訳作業をお手伝いをさせていただきました。
それぞれの文章から学ぶもことも山ほどあり、とても勉強になりました。
ほんのお手伝い…だと思っていたのですが、なんと巻末に、編集部員として名前まで入れていただきました。
なんだかちょっと嬉しい。。。。。
というわけで、ITI会員としての第一歩はこんなかたちで幕を開けました。
まだまだできることはたくさんあるはず……今後の活動が楽しみです!
新しい年度に入って1ヶ月……
先日のブログで、ITI/国際演劇協会に入会したことをご報告しましたが
そこでの私の初仕事が形になって手元に届きました。
「THEATRE YEAR-BOOK 2013 -Theatre Abroad/諸外国の演劇事情」という国際演劇協会編纂の年鑑です。
←こちらがその年鑑です。
日本を含む29カ国の演劇シーンで起きたことがらが報告されているのですが
今回私は、日本の演劇事情を紹介する章から「能・狂言」「歌舞伎・文楽」「日本舞踊」の各章の英訳作業をお手伝いをさせていただきました。
それぞれの文章から学ぶもことも山ほどあり、とても勉強になりました。
ほんのお手伝い…だと思っていたのですが、なんと巻末に、編集部員として名前まで入れていただきました。
なんだかちょっと嬉しい。。。。。
というわけで、ITI会員としての第一歩はこんなかたちで幕を開けました。
まだまだできることはたくさんあるはず……今後の活動が楽しみです!
年度が変わりましたね。
また、エイプリルフールに嘘をつかずに終わってしまいました。
残念。。。。
どうやら私、そういうセンスがないみたい……いいのか喜劇人なのに??(笑)
さて、その新年度
青柳は国際演劇協会(I T I)の会員になりました。
国際演劇協会(International Theatre Institute) は、ユネスコ傘下の国際組織で、パフォーミング・アーツを通じて、国際交流することをミッションにしている団体です。
私が加入したのは、その日本センター。
社団法人国際演劇協会(ITI/UNESCO)日本センター は、その公認団体で、ユネスコ憲章の趣旨に基づき、各国相互の理解を深めるため、広く演劇に関する調査研究を行い、日本の文化の発展に寄与することを目的にしているそうです。
昔ある演出家さんに言ってもらった言葉で、心に残っているものがあります。
「組織に加わるなら、その中心で働けなきゃ意味がないんだよ」
若い頃ながら、「うん、そうだよな!」と意気上がったのを覚えています。
一昨年の12月、故あって日本演出者協会を退会してから、1年ちょっと。
ITIの活動に参加することで新しい局面を見つけられるような気が……しています。
さて、これからどんな風に働けるか?
楽しみです。
また、エイプリルフールに嘘をつかずに終わってしまいました。
残念。。。。
どうやら私、そういうセンスがないみたい……いいのか喜劇人なのに??(笑)
さて、その新年度
青柳は国際演劇協会(I T I)の会員になりました。
国際演劇協会(International Theatre Institute) は、ユネスコ傘下の国際組織で、パフォーミング・アーツを通じて、国際交流することをミッションにしている団体です。
私が加入したのは、その日本センター。
社団法人国際演劇協会(ITI/UNESCO)日本センター は、その公認団体で、ユネスコ憲章の趣旨に基づき、各国相互の理解を深めるため、広く演劇に関する調査研究を行い、日本の文化の発展に寄与することを目的にしているそうです。
昔ある演出家さんに言ってもらった言葉で、心に残っているものがあります。
「組織に加わるなら、その中心で働けなきゃ意味がないんだよ」
若い頃ながら、「うん、そうだよな!」と意気上がったのを覚えています。
一昨年の12月、故あって日本演出者協会を退会してから、1年ちょっと。
ITIの活動に参加することで新しい局面を見つけられるような気が……しています。
さて、これからどんな風に働けるか?
楽しみです。
俳優 納谷悟朗氏が亡くなりました。
こちらが納谷悟朗さん(劇団テアトル・エコーHPより)
2013年3月5日のことだそうです。
ニュースなどでお聞きおよびの方もあるかと思います。
納谷悟朗の名前は
『ルパン三世』の銭形警部、通称 とっつぁん
『宇宙戦艦ヤマト』の沖田艦長
洋画では、クラーク・ゲーブル、ジョン・ウェイン などなど
幅広い役どころを演じる「声優」としてご存知の方が多いかと思います。
ですが本人は頑として、「俺は俳優だ」と言い続けておりました。
納谷さんは、私が所属する劇団テアトル・エコーの中心的な存在の俳優でした。
いつもちょっと突っ張っていて、その癖シャイ!
厳しくて、それでいてとても温かい
魅力的な方でした。
私は、10年ほど前に、オーディションでこの劇団の演出部に入りましたが、一番初めに演出させていただいた本公演の作品『エスケープ フロム ハピネス』に出演していただきました。
新入りが、入団2年ちょっとでいきなり本公演の演出を担当するという、ある意味暴挙だったわけですが、そんな中、本当に最初から最後まで、私を応援してくださったのが納谷さんでした。
「応援」はいつでも「優しい」という言葉とはイコールであはりません。
本当に、怒るときには怒り、笑うときには笑い、そしてその態度で、私を励まし続けてくださったように思います。
現場は決して穏便なムードばかりではありませんでした。
本当にいろんなことがありました。
そんなこんなを潜り抜けた後の打ち上げの席、お帰りになる納谷さんをみんなで見送った時、私の前に立っていた女優さんの方へ握手の手を伸ばした納谷さん。それに応えようと手を伸ばしかけた彼女の脇をすり抜けて、彼の手は私に差し出されたのです。
周囲がびっくりするのも気にせず、彼はがっちり私の手を握ってくださいました。
その瞬間の驚きは、今でも忘れることができません。
「青柳……おまえは思いっきりやれ! やりたいこと思いっきりやれ!! やりたいようにとことんやれ!!」
この言葉は私が入団早々の頃かけていただいたことばです。
私の宝物の一つです。
その納谷さんが亡くなって……
そのことを受け入れるまでに、まだ時間がかかりそうです。
なんだか未だに実感がわきません。
ブログにこのことを書くのにも、かなり迷いがありました。書いている今もまだあるようです。
べたべたとしたコミュニケーションを取るタイプではなく
かっこいい、ダンディーなたたずまいをいつも忘れない方でした。
お話するチャンスもそれほど頻繁ではありませんでした。
でも、いただいた言葉で、納谷さんとは繋がっていたと、勝手に信じていました。
今でも繋がっていると……
納谷さん、あちらには、山田康雄さん(ルパン三世でおなじみ)、八代駿さん(クマのぷーさんなどなど)、平井道子さん(初代サリーちゃん他)、キノトールさん(テアトル・エコーの座付き作家・演出家でした)などなど、劇団を盛り上げた方たちがたくさんいらっしゃいますね。
どうぞ皆さんとお会いになって、いろいろ、イロイロ、お話になっていますように……。
……合掌……
こちらが納谷悟朗さん(劇団テアトル・エコーHPより)
2013年3月5日のことだそうです。
ニュースなどでお聞きおよびの方もあるかと思います。
納谷悟朗の名前は
『ルパン三世』の銭形警部、通称 とっつぁん
『宇宙戦艦ヤマト』の沖田艦長
洋画では、クラーク・ゲーブル、ジョン・ウェイン などなど
幅広い役どころを演じる「声優」としてご存知の方が多いかと思います。
ですが本人は頑として、「俺は俳優だ」と言い続けておりました。
納谷さんは、私が所属する劇団テアトル・エコーの中心的な存在の俳優でした。
いつもちょっと突っ張っていて、その癖シャイ!
厳しくて、それでいてとても温かい
魅力的な方でした。
私は、10年ほど前に、オーディションでこの劇団の演出部に入りましたが、一番初めに演出させていただいた本公演の作品『エスケープ フロム ハピネス』に出演していただきました。
新入りが、入団2年ちょっとでいきなり本公演の演出を担当するという、ある意味暴挙だったわけですが、そんな中、本当に最初から最後まで、私を応援してくださったのが納谷さんでした。
「応援」はいつでも「優しい」という言葉とはイコールであはりません。
本当に、怒るときには怒り、笑うときには笑い、そしてその態度で、私を励まし続けてくださったように思います。
現場は決して穏便なムードばかりではありませんでした。
本当にいろんなことがありました。
そんなこんなを潜り抜けた後の打ち上げの席、お帰りになる納谷さんをみんなで見送った時、私の前に立っていた女優さんの方へ握手の手を伸ばした納谷さん。それに応えようと手を伸ばしかけた彼女の脇をすり抜けて、彼の手は私に差し出されたのです。
周囲がびっくりするのも気にせず、彼はがっちり私の手を握ってくださいました。
その瞬間の驚きは、今でも忘れることができません。
「青柳……おまえは思いっきりやれ! やりたいこと思いっきりやれ!! やりたいようにとことんやれ!!」
この言葉は私が入団早々の頃かけていただいたことばです。
私の宝物の一つです。
その納谷さんが亡くなって……
そのことを受け入れるまでに、まだ時間がかかりそうです。
なんだか未だに実感がわきません。
ブログにこのことを書くのにも、かなり迷いがありました。書いている今もまだあるようです。
べたべたとしたコミュニケーションを取るタイプではなく
かっこいい、ダンディーなたたずまいをいつも忘れない方でした。
お話するチャンスもそれほど頻繁ではありませんでした。
でも、いただいた言葉で、納谷さんとは繋がっていたと、勝手に信じていました。
今でも繋がっていると……
納谷さん、あちらには、山田康雄さん(ルパン三世でおなじみ)、八代駿さん(クマのぷーさんなどなど)、平井道子さん(初代サリーちゃん他)、キノトールさん(テアトル・エコーの座付き作家・演出家でした)などなど、劇団を盛り上げた方たちがたくさんいらっしゃいますね。
どうぞ皆さんとお会いになって、いろいろ、イロイロ、お話になっていますように……。
……合掌……