あおさんのブログ
こんにちは テアトル・エコーの青柳敦子です。「ぐるっぽ・ちょいす」というユニットで、舞台作品を作ります。ワークショップも開催します。人と人とのふれあいと、笑いを求めて今日も行く!! 一匹狼の演出家です。
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8月9月の二か月間、ブログの更新をしませんでした。
怒涛の二か月……ふり返り日記です。
去る2014年8月11日の日曜日は、街角でベートーヴェンの『第九』を演奏するイベントに参加しました。
それも、1日の乗降客が世界一多いという(ギネス認定)新宿駅の東口周辺で……
私はその演出を担当いたしました。
こちらは当日のベストショット!
私にとっては久しぶりのクラシックがらみイベント……。
結果はとても盛り上がりましてね、その時の映像もいろいろ見られます。Youtubeありがとう!!
こちらは公式映像です
今流行りの「フラッシュモブ」……
街角に突如現れるパフォーマンス集団が、成すべきことを成すとサッサと消えていくというサプライズ・イベントの一種です。
そのフラッシュモブを、生のオーケストラ演奏と合唱でやろうという大胆な企画!
発案は、地元新宿青年会議所の有志・勇士・雄志たち。
最初は、恐れを知らぬ企画力・発想力にマジでビビリました。
フラッシュモブは、ほんの数分間ゲリラ豪雨のようにバッと現れてはサッと消えてゆく突発性や、インターネットなどを介して見ず知らずの人が集まるという定義づけが与えるイメージから、「偶然性」「一回性」のイベントというイメージを持たれがちですが、実は多くの場合そうではありません。
多くの人が行き交う公共の場所で、ハプニングを巻き起こす。
ハプニングのように見る人に感じてもらいながらも、公共の秩序を守り、安全に、美しく行うためにはとても細かな準備と計算、そして開催する人たちの常軌を逸した(?)協力が必要です。
今回ほど、それが必要だったイベントはありませんでした。
そしてその成果が表れたイベントも珍しいと思います。
手前味噌です。ええ、でも今回ぐらいは言わせてください。m(_ _)m
実はあの場所はフラッシュモブを成功させるにはハードルの高い、条件も規制も厳しい場所でした。新宿東口MOA四番街の真ん中にある交差点。そこに指揮者とオーケストラ50名。合唱120名。今思い出しただけでも胃が痛くなってめまいがします。(笑)
それを越えさせてくれたのは「地元力」でした。
営業時間中のお店をワンフロア控室に提供していただいたり、銀行のパーキングスペースやファッションビルのスペースを特別にお借りする許可を取り付けてくださったり、警察に警備や安全確保に対する配慮を細かな演出プランまで絡めて説明に行ってくださったり……
あの場所を演奏のできる空間にするための「いい結果」を出せたのは、彼らがそこに生活する地元の人だったから…地元を盛り上げるための愛情に裏打ちされたエネルギーが周りを動かしたから…その力がとても大きかったと感じています。
協力してくださった方々……
企画運営サイドの皆さんにも、無茶を受け入れてくださった周囲の方々にも、参加してくださった演奏者の皆さんにも、感謝 感謝 感謝です。
色々な思いがぐるぐると渦巻くばかりで、なかなか人様に読んでもらえるような形にまとまりませんでした。
ずっと仲良くさせていただいていた作家の唐沢伊万里さんが
去る7月2日午前2時47分に亡くなりましたました。
私よりも若かったのに…
作家としては「さあ、これから!!」という楽しみな時だったのに…
25年あまりの闘病生活の苦しみから、やっと解放されました…
それでも彼女は生きたかった……
もっともっと書きたかった……
体力が落ち、思うように会話ができなくなった頃
「この状況は作家として致命的」と、一生懸命言葉にしてくれた彼女
本当にどうやっても諦めなんかつかなかったろうと思います。
来年3月には、彼女とのお付き合いが始まるきっかけとなった作品『病院ミシュラン』が、10年の歳月を経て、ようやく初演されることになっています。
偶然ではありますが、同じ時期に、扶桑社さんから『病院ミシュラン』が電子書籍で出版されることも決まっています。
どちらもこんなタイミングを狙っていたわけでも何でもなのに
二つのことが「実現するよ!」というお知らせを耳に入れて間もなく
彼女は逝ってしまいました。
彼女が元気であれば、その『病院ミシュラン』も、今回のテアトル・エコーの公演用に、さらにリライトを加えていただく予定でおりました。
すでに具体的なアイデアも検討され
演出を担当する永井寛孝も「面白くなりそうだ!」と、作業を楽しみにしておりましたのに…
それもできずじまいでした。
「リライトできないということを
自分に一生懸命納得させようとして
ひどく苦労しているようですよ」
というお父様の言葉を聞いた時には、本当に胸が詰まりました。
そして7月2日
彼女は逝ってしまいました。
友人として、彼女のそばにいられたことを感謝します。
でも友人として、もっとそばにいてあげることはできなかったのかと、自問もしています。
唐沢さん、やっぱりあなたは私にとって「作家・唐沢伊万里」さんです。
冒頭に載せた写真は、先ごろ逝去したエコーの重鎮、納谷悟朗を偲ぶ会のことを書いた時と同じ、桃の花です。
唐沢さんは、エコーの委嘱作品『アラカン!』で納谷さんに声の出演をしてもらったことを、本当に「誇りに思っています」とフェイスブックに書き込んでおられました。
ある芝居の解釈から話が派生して、民主主義の話になりました。
「日本では、民主主義はどのように習いますか?」
こう聞かれて、「どう習ったっけ?」と首をかしげる人もいたように記憶しています。
私の乏しい記憶では(社会科…嫌いだったんだなあ、あの頃…)、日本は選挙で選んだ代表が、国会に行って国の政治をします。だから「投票」が自分たちの意見を反映させるための最も重要な最高の権利です…というような習い方をしたと思い出しました。
こちらは総務省の「選挙の意義」を解説したサイトです。
ここにも
日本は国民が主権を持つ民主主義国家です。
選挙は、私たち国民が政治に参加し、主権者としてその意思を政治に反映させることのできる
最も重要かつ基本的な機会です。
とあります。
中学校1年生の教室、社会科の授業。
窓側の席の後ろから二番目あたりに座った自分の姿までよみがえりました。
「そうか、投票で参加するのか!」という、ちょっと大人になることへの背伸び感を持ったのを思い出しました。
と同時に「そうか、間接的な参加なのか」ということにネガティブなイメージが湧いたことも思い出しました。
ところが、アメリカでの彼女の話は、私たちの体験とは全く違いました。
裏付けはとっていませんが、アメリカ人である彼女の体験談としてリアリティを持って聞きました。
まだ、インターネットも、携帯電話もない時代のお話です。
アメリカの小学生が、政治と自分とのかかわりを始めて勉強するとき、どうするか?
答えはこうです……
生徒たちは、コインを渡されて、公衆電話からホワイトハウスに電話をかける。
ホワイトハウスには国民が大統領と話したい時に必ずつながるホットラインがあって、そこに掛ければ大統領と直接話すチャンスがあるんです。
子どもたちは、自分でダイヤルしてホワイトハウスに電話をします。
そして直接、大統領と話をします。
自分の声に大統領が耳を傾けてくれる、そして答えてくれる。
これが、民主主義の真ん中に国民があり、自分たちの声は大統領まで届き、さらには自分たちの声には、彼らを「動かす力」がある、ということを学ぶのです。
ショックでした。
彼女の体験談と比べて、私たちの体験の、なんという距離感の差、実感の差でしょう!?
その時の衝撃の大きさを今も忘れることができません。
私たちは民主主義の基本を習ったようでいて、実際には政治との距離の遠さを習ったのではないかとすら思いました。
アメリカと日本では、基本的なシステムの違いがあるので、一概に善し悪しを言うことはできませんが、でも「実感」が伴うかどうかという差は、とても大きなポイントだと思います。そしてそれは政治だけではなく、あらゆるコミュニケーションの基本、モチベーションの源泉なのだと思うのです。
自分の意志や思いが誰かに届けばいいのにと思ったとき、どう行動を起こし、どんな風に相手に働きかけ、どんな情報を渡せばいいか?
そのトレーニングを、今私たちは積極的にしているのだろうか? してきたのだろうか?
そこに自信を持って「イエス」と答えられないというのは、非常に恐ろしいことだと思います。
今からでも遅くはないから!
そう信じて動き出したい。動き続けたい。動かしていかなければいけない。
そう感じるような事に、なぜだかたくさん出会う今日この頃です。
私たちの本拠地、東京・恵比寿の「恵比寿・エコー劇場」で
納谷悟朗お別れ会が行われました。
新聞にも、いくつか記事が載ったようですね。
こちらはスポーツ報知の記事でございます。
そしてこちらが納谷さんの写真(同じくスポーツ報知より)です。
祭壇には晩年の納谷さんの、本当に柔らかな表情の素敵な写真が飾られました。
納谷さんは本当にシャイな方でした。
特に写真は大嫌い。
シャイなうえに、カッコつけ、加えて意地っ張り……
チラシやプレス資料のための写真撮影ですら、憮然とした表情を崩さないような方でした。(笑)
その納谷さんが、あんなにやわらかな顔で写真におさまっている……
ただし、そのやわらかな目元は、ちゃんとトレードマークのキャップの陰に隠れるようにしておりました。
本当に納谷さんらしい素敵な写真でした。
小さな劇場からは、本当にあふれるほどの(あふれてました…m(_ _)m)方々が、お別れに駆けつけてくださいました。
その数、一般のファンの方たちも含め、300人以上……
参会者の人数に入らない、内輪の者も加えると、400人を超える人が集まったことになります。
会場となった「恵比寿・エコー劇場」は劇団テアトル・エコーの拠点です。
客席数は100をわずかに超えるだけという小劇場です。
舞台客席だけでなく、ロビーにも、駐車場に特設されたモニターの前にも、ありったけの椅子が用意されて、いらした方をお迎えいたしました。
決して、素晴らしい座り心地ではなかったと思います。
屋外にいらした方はお暑い思いをなさったろうとも思います。
お立ちいただいた方もおいでだったようです。
ご参加なさらず、道の反対側で手を合わせるだけのファンの方もいらっしゃいました。
それでもこの劇場で、納谷さんを偲ぶ会をやりたかった。。。。
劇団の創立と運営に関わってきた重鎮たちの並々ならぬ思いがそこにはありました。
ここでお別れ会をするということになった時、熊倉さんが言った言葉が耳に残っています。
どこでやるかって言ったら、帝国ホテルを借りるか、エコー劇場かなんだよ。
それだけの男なんだよ納谷悟朗って言う俳優は。
自らを「声優」ではなく、「俳優」だということにこだわっていらした納谷さん。
後進を指導し、養成所を牽引していらした納谷さん。
劇団の大きな柱の一人として、頑固に「エコーらしい作品」を追い求めた納谷さん。
そして、「あて師」(声優という言葉がまだ生まれる前に使われた呼称だそうです)として、その業界に大きな功績を残された納谷さん。。。。
ありがとうございました。
グアムに旅行に行った時のことです。
毎週ウィークエンドに開催されている「デデドの朝市」というのに行ってまいりました。
とてもローカル色豊かな朝市で
もちろんこれが目当ての観光客もたくさん来ているのですが、地元の方が本当にお買い物に押し掛けている、その雰囲気がたまらなく楽しいのでございました。
地元の方が食するであろう、見なれない野菜やフルーツ、多分食べるのであろう生きた魚や家畜、バナナのちまきやココナッツのお菓子、チャモロ風BBQといったものから、Tシャツ、タオルや下着、おもちゃや民芸品などなどなどなど、色々なものが、雑然と並べられていて、それはそれはにぎやかに売り買いされておりました。
ホテルが立ち並ぶエリアでは、英語が話せなくてもほとんど苦労はしませんが、ここでは話が違います。みんな一生懸命、身振り手振りにありったけの英語を交えて値切り交渉??をしていました。(笑)
さて、この朝市に、キッチンカーをバーンと入れて、ひときわ長い行列を作っているお店がありました。
あたたかい料理をランチボックスやプレートにしてくれるお店で、その「迷惑」に出会いました。
キッチンカーのボディには、料理の写真と一緒に日本語の解説まで加えてありました。
それがこれです。
初めは、意味がわからず、しばらく貼り出してあったメニューとにらめっこをしていたのですが……
↓ ここんところに……見えますか?
はっきりと……「迷惑」……
そのうちハタと気がつきました!!
「迷惑」とは…この事だったんです!!
SPAM……つまり……スパム……迷惑……
あの「スパム・メール」のスパムです。
その「SPAM」とスペルがおんなじもんだから、直訳しちゃうと……「迷惑」……
おいおい!! いつからこれ掲げてるんですか……??
そして誰も気がついてないんですかあ~??
教えてあげようよ~!!
もしや、ウケ狙い!!??
うーん、こんな高度な洒落を思いつくなんて、相当いい翻訳センスだぞ~
…というのが、グアムで出会った「迷惑」のお話の一部始終でした。
そして私たちも、お店の方に「間違ってますよ」なんて伝えることもせず、爆笑だけして帰ってきてしまいました。。。。。
もしどなたか、グアム島はデデドの朝市に行くチャンスがある方がいらっしゃいましたら、このメニューが今でも健在かどうか、是非レポートしてくださいませ!!