あおさんのブログ
こんにちは テアトル・エコーの青柳敦子です。「ぐるっぽ・ちょいす」というユニットで、舞台作品を作ります。ワークショップも開催します。人と人とのふれあいと、笑いを求めて今日も行く!! 一匹狼の演出家です。
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ご近所の幼稚園の園庭にあるねむの木が、今たくさんのふわふわな花をつけています。
このメッセージ・リレーは、広島市西区の太光寺の副住職である東和空さんの発案で、天城流湯治法杉本錬堂さんから始まったのだそうです。バトンはメッセージを書いた方から次のお二人の方に託されます。こうしてメッセージを発信する方がどんどん増えてゆくという仕掛けです。今、いったいどのくらいの方がこのメッセージを発信し、どのくらいの方が受けとってださっているのでしょうか? それを想像すると本当にドキドキします。
今日は私が好きな、ある病院のことから始めたいと思います。
私は子供のころから少しばかり病弱な性質でした。幼稚園、小学生の頃など、かかりつけのお医者さんに一週間も顔を出さないと「おや、あっこちゃん、どうしてたね?」と先生から訊ねられるほどの常連さんだったようです。
そんな地味~に豊富な私の通院歴。
その病院は私の家から電車で数駅のところにある、あまり大きくないローカルな総合病院です。駅のそばという立地もあり、周囲には背の高いビルがかなり建っているので、入院病棟もあるほどのしっかりしたビルなのに、うっかりすると通り過ぎてしまいそうになるほどの控えめな佇まいです。
自動ドアで、小ぢんまりとしたエントランスを入ると、そこに広がるのは昭和の風景です。
ただのレトロ・マジック?
その答えは、診察を終えて、会計の時にはっきりとわかりました。
そう思ってみてみると、この病院ではお医者さんと看護師さん、看護師さん同士の会話も、とても普通で自然。いわゆる「接客のプロ」みたいな対応の人がいないんです。これは意外に今大切なことかもしれないぞと思いながら病院を後にしました。
最近は「病院はサービス業です」という発想も広がっているそうで、ちょっと大きな総合病院になると、医療事務は業者に委託していて、受付対応のプロが、例えばこんな感じの制服に身を包んで、まさに鮮やかに流れるように処理してくれます。
接客マナーや、クレーム対応の方法も心得ていて、どの窓口に立っても同じクオリティの対応が受けられます。
ですが、ふとした瞬間に「私、なんだか流れ作業の一部にされている」「私、今相手をしてもらってない」という妙な違和感と言うか、孤独感と言うか、独特の気持ち悪さを感じてしまうことがあるのです。みなさんとても手堅く、微笑みをたたえて、何かあれば腰を低くしてサービス精神を見せてくださいますが、そこに堅くて頑丈な「受付嬢」という名の「お面」や「鎧」を見ているように感じるのです。それは、すべての来院者に平等に、もれなく必要な(でも最小限の?)情報を伝え、会計や処方箋の受け渡しなど、必要なことを手際よく行うための工夫を重ねた結果だとは分かるのですが、どうも何だかそこには人間の体温がない……そんな気がしてきてしまうのです。
こうした違和感を感じる場面は、病院だけではありません。
店員「いらっしゃいませ、ご注文をどうぞ~」
なんていうコントがありましたが、こんなネタが出てくる背景にも、店員さんのやり取りがマニュアルをなぞるだけになっていて、相手をちゃんと見ない、聞いていないリアクションを体験した方がたくさんいたからですよね、きっと。(笑)
人と人とが向き合う場面にマニュアルという名の仮面を用意する。
また、最近の若い方たちの日常会話にも似たような現象を感じることがあります。
少女A「きのうさあ、@@@@で***なことがあってさあ!」
少年C「俺がさあ、####しようとしたらさあ、Dの奴%%%しやがってもう超ムカつく」
どちらも相手のコメントに同感、共感しているように見えますが、そこから相手の話題に入っていく気配を感じません。はたで小耳にはさんだ私の方が、耳をダンボにして「それで? なんでそうなったの? そっからどうなったの?」と聞きたくなるのですが、あまりその先には触れずに会話は続きます。また「うける」とか「ムカつく」というような言葉が単なる記号、サインになっていて、なににどう「うける」のか「ヤバい」のか「ムカつく」のかには全く触れずに通じ合った気分になっているようにも見えるのです。
上の会話をエッセンスだけにすると、どちらもさしずめこんな感じです。
Ⅰ「こんなことがあってこんなきもちなんだけど わかってくれる?」
このスパイラルに入り込むと、もう「Yes !」以外のことをさしはさむのは憚られるようなムードが簡単に出来上がりそうです。
さらに最近流行りのスタンプにも同じような効果があると思います。
「クォータースターコンテスト」という、ネット上で15分ノーカットの演劇動画を競うイベントで、昨年(第3回)のグランプリを受賞したのが、まさにそんなポイントを衝いたてもユニークな作品でした。
マニュアル対応、お決まり、お約束の反応を迫られる関係、これはとても苦しいと私は思います。その胸の内の苦しみが積もり積もった挙句に何が起こるか? 自分自信でもその苦しみの始まりがどこだったのか、それすらわからなくなるようなところまで行ってしまった末に、何かの事件や病気に発展する可能性もありはしないでしょうか?
人はいつでも私とは違うところを見、私とは違うことを感じている。
私にバトンを回してくださったオーハシヨースケさんの言葉をちょっとお借りすれば、同じ方を向いて、並んで同じものを見られるような「親友の立ち位置」に辿り着けることは、とても幸せなことなのだと思います。
そうなれるまでの試行錯誤……それを恐れないコミュニケーションに立ち向かう力が、今求められているのかもしれません。
これは、広島市西区の太光寺の副住職である東和空さんの発案で、天城流湯治法杉本錬堂さんから始まったウェブによるメッセージ・リレーです。
……いろいろ考えましたが、まず自分の得意分野から始めようと思います。
そうだったのか。
その時の私は結構素直に感心したのを覚えています。
音楽の三要素は「メロディ/旋律」と「リズム/律動」と「ハーモニー/和声」です。それぞれに、個性を持った運動を呼び起こします。
メロディ、特に単旋律は、人に集中と上昇感を意識させます。
それに対してリズムは原初的な興奮と、大地へ根ざす下への動きを生み出します。ビートを感じると、自然に足を踏み鳴らしたりしますよね。あの感じです。
そしてハーモニーが広がりを生じさせ、カタルシスを感じさせます。
この三要素の個性を感じていただくために、二つのアメリカ国歌を比べてみましょう。まずはオーケストラの伴奏とコーラスによる演奏です。(演奏は10秒過ぎから始まります)
いかにも力強い、高揚していく開放感のある曲だと思います。広がってゆくハーモニー、シンプルに強調されるビート(拍)、それがこの曲が持つ基本的なキャラクターだと思います。
では同じ曲を、こんどはア・カペラ(無伴奏)の独唱で聴いてみましょう。この曲の持つ主要なキャラクターがリズムとハーモニーから、メロディにとってかわります。
歌っているのが9歳の女の子だというのにも感動ですが、それはさておいても、聴衆がとても集中しているのにお気づきかと思います。
メロディが持つ個性が最大限に発揮されている演奏なのではないでしょうか。
軽快なアレンジにはなっていますが、BGMのテンポが上がることで、来店者の動きのテンポも上がっているのかもしれません。
それは日本の国歌「君が代」です。
この曲は、自然に人に威厳を感じさせる編曲がされています。
そしてこれにも対極のアレンジを加えた演奏があります。
忌野清志郎の「君が代」です。
こうなると、演奏の間中、聴衆の身体が止まることがありません。
全身で音楽に反応し、君が代をシャウトしています。
見事です。その見事さゆえに(?)不敬だという強烈なバッシングを受けましたね。
「人を感動させるにはしかるべき構造が必要です。」
一つの答えに収束してゆくようなものではないと思います。
たまたま通りかかったツツジの生け垣に、クマバチが一匹。
体中を黄色い花粉だらけにして、飛び回っておりました。
丸くて黒くてかわいいっ!!!
虫愛ずる姫のわたくしといたしましては、これはなんとしても写真に収めたい!
ガラ携片手に、飛び回るクマバチを追い回すこと5分??
やっと撮れました!! かわいいそのお姿!!\(^o^)/
花の中に頭を突っ込むクマバチ君
実は、毎年クマバチが飛び始めるのを初夏の合図と思って追っていたのですが、私のカメラの腕前ではなかなか追いつかず、今年も一度、ご近所に咲いていた藤の花の周りを飛びまわるクマバチ君を撮ろうとしばし追い回したのですが、すぐ隣を一緒に飛んでいたミツバチ君の攻撃を受けそうになって、断念していたのでございます。
そんなこともあったものですから、この写真にはホント、感慨ひとしおです。。。。
ちなみに、花の周りを飛んでいるクマバチ君は人を刺さないのだそうです。
ですから、図体は大きいですが、皆さん怖がらないであげてくださいませ。
ところがそんな感動をさらに盛り上げるあることに気が付いてしまいました。
元気なクマバチ君の飛行音……
つまり羽音が……E音……ミの音……なのに気づいてしまったのです。
クマバチと言えば、あのロシアの作曲家リムスキー=コルサコフの『熊蜂の飛行』を思い出さずにはいられないのですが、その基調をなしている音が、E音……ミの音……なのでございます。
うおおおお!!
キタ━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)人(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━!!
そうだったのかーーー!! リムスキー=コルサコフすげーーーーー!!!
……と、2CHばりのテンションで、ひとりで盛り上がってしまいました。
『熊蜂の飛行』は、映画『シャイン』の中でも印象的に使われていましたね!
そうそう……これこれ……
こんなことで一日ハッピーになれる私って……
というより、こんなことを「絶対ブログに書かなくちゃーー!!」って抱きしめている私って……ヘン??
ちなみにうちへ帰ってきて、ちゃんと調べてみたら、ロシア語の原題でも、英語翻訳タイトルでも、飛んでいるのは "bumblebee" つまりマルハナバチなので、ちょっと種類が違うらしい。
……そうだったのか……○| ̄|_
マルハナバチの羽音……聞いてみたい……
そして八重桜や御衣黄のようなちょっと遅れて花を咲かせる種類が今見頃ですね。
この時期私のお気に入りは、見事な花よりも、植物っていう感じがするこんな子たちです。
こちらはアケビの花です。
お友達から頂いた写真です。
透き通るようなきれいな写真! ありがとうございます!!
アケビの花には雄花と雌花があって、右側のちょっと赤みの強い大きいのが雌花、真ん中にたくさん集まって不思議な形をしているのが雄花です。
なんとも言えないこの色と形……
いわゆる観賞用の華麗な花とは違う、独特な雰囲気があります。
気が付かなければ、緑の一部に溶け込んでいるのに、ひょっと気が付いてしまうと、もう見つめずにはいられないような……そんな魅力、力強さです。
もちろん、アケビですから秋には実がなるでしょう!?
それも楽しみ……。
ところで今年はこんな事を知りました。
実はソメイヨシノの木は、全て一本の木のクローンだというお話……。
調べてみたら、ウィキペディアなどにも記載があったので、私が知らなかっただけで、けっこう皆さんご存知なことなのかもしれませんが……。
ソメイヨシノは、ヤマザクラなどの品種に比べると、ビッシリたくさんの花が付くのでとてもゴージャスです。それが一斉に咲くので、ならではのインパクトがあります。
「ソメイヨシノはどうして同じ時期に一気に咲くんですか?」
そう訊ねられたら、答えには「植物の気候への反応メカニズム」の解説なんかを期待してしまいますが、私が見つけた記事にあったのはこんな答えでした。
実はソメイヨシノは、みんな同じだからです。
ソメイヨシノは品種改良の結果生まれた一本の木のクローンなんです。
どういう事かというと、すべてのソメイヨシノは、元になるソメイヨシノの枝を、オオシマザクラという木に接ぎ木することで増やしているんです。だからみんな同じDNAを持ったクローンだと言えるんです。それで一斉に咲くんです。
……なんと……。
そうだったのか……。
そう言えば、「とちおとめ」「あまおう」「紅ほっぺ」といったイチゴのブランドも、全て株分けで増やされたクローンで、その品種のための花粉で受粉しないと、同じイチゴは実らないという話を聞いたことがあります。
その時には「そうなんだ!! イチゴも化学の恩恵で実ってるんだ!!」と驚いたのですが、それよりももっと大きな桜の木も、同じような技で花を咲かせていたのだとは……。
人間様の楽しみのために、ずいぶん自然の摂理に逆らっているのだなあと感じてしまいました。
でも考えてみれば、種のないブドウやスイカ、苦みやえぐみがより少ないピーマンやトマト、小さくてかわいらしい愛玩犬……私たちはいろんなものに囲まれているんですよね……。
そんなことに思いを巡らせながらまたあのアケビの花に目を向けると、人様の都合とは無縁の、野生の営みの美しさとでもいうものに、改めて惹かれてしまいます。
天気予報でも「もう寒の戻りはないでしょう…」とのこと。
いよいよ春本番ですね。
さて先日、近所の公園で満開の花をつけた一本の河津桜を見つけました。
河津桜です
(この写真はお友達から頂いてきました! メジロが来てますね!)
ちょっと濃いめのピンクがほんとにきれいだったので、花の真下まで近寄ってみました。
桜の花の傘の下に潜り込んで、包み込まれるような気分
ため息とも深呼吸ともつかないブレスをして、ひと時その場の雰囲気に浸りました。
そこでちょっと耳慣れない音がしているのに気が付きました。
うなるような、でも軽い音が、波打つようにずっと続いています。
ハチの羽音でした。
気を付けて見てみれば、小さなハチ(ミツバチでしょうか?)が黄色と黒のシマシマのお腹をふりふり、花から花へ飛び回っていました。
ハチは何匹ぐらいいたのでしょう?
羽音は遠く近く途切れることなく聞こえていました。
なんだか遥かに桃源郷へでも飛んできたような
懐かしい音楽を聴いたような
そんな気持ちになりました。
サウンドスケープというか……ミニマルというか……???
現代音楽を聴くような、なんだか不思議な体験でした。
春が来るのも自然
桜が咲くのも自然
ハチの羽音も自然
自然が織りなすものには、なんだか無条件に感動してしまいます。
すごいなあ……
改めて思いました。