あおさんのブログ
こんにちは テアトル・エコーの青柳敦子です。「ぐるっぽ・ちょいす」というユニットで、舞台作品を作ります。ワークショップも開催します。人と人とのふれあいと、笑いを求めて今日も行く!! 一匹狼の演出家です。
- 2024/11/22 (Fri)
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
- 2011/11/02 (Wed)
『人形の家』と向き合ってみる
イプセン作 『人形の家』
タイトルだけなら、演劇に興味のない方でも1度はきいたことがあるのではないでしょうか?
ヘンリック・イプセンというノルウェーの作家が書いた
近代戯曲の名作と言われているお芝居です。
この12月は、その『人形の家』の「翻案」に挑みます。
日本演出者協会の国際演劇交流セミナー中国特集のワークショップの課題です。
物語は、ヘルメルという弁護士とその妻ノラ、そして二人を取り囲む人たちによって紡ぎだされています。
ざ~~~~っくりかいつまむと。。。。
ノラは幼くして母をなくし、父と乳母によって育てられたお嬢様。
夫で弁護士のヘルメルは曲がったことが大嫌い。そして妻のノラを溺愛している。
かつて夫が瀕死の重病におちいったとき、彼女はその治療費のためにクロクスタという男から借金をした。
だが、そんなことを夫のヘルメルが許すはずがない。
またクロクスタにしても、返済能力のないノラに無条件で金を貸すのはリスクが高すぎる。
そこで、保証人に彼女の父親を立てることを条件にした。
ところが折悪しく、彼女の父も時同じくして危篤状態。保証人の話を持ち出すことなどできなかった。
そこでノラは、夫にもクロクスタにも父親にも内緒で、契約書に自分でサインと適当な日付を入れてお金を引き出したのだ。
「だって愛のためですもの、夫のためにも、お父様のためにもこれが一番心配をかけずにすむ方法だから。それにちゃんと返済していけばなんの問題もないわ」
ところが、夫ヘルメルが銀行の頭取という役職につき、もう金銭的な苦労をしなくてもいいという状況になったことが事態を一転させる。
ノラの女友達リンデ夫人が、仕事を求めて尋ねてくる。彼女は夫と死別し、つらい人生を歩んでいるのだ。ノラのとりなしで、彼女は銀行に職を得ることができたが、かわりに同じ銀行にいたクロクスタが解雇されることになる。クロクスタは復職をとりなしてくれとノラに迫り、応じなければ借金とサイン偽装のことを、夫にばらすと脅しをかける。
ノラは自分のしでかしたことの重大さに気付き始め、狼狽するが、心のどこかで「私を愛する誰かが、私の罪をすべてかぶってくれる」「そのとき私は、彼は全く悪くないと告白しよう」と悲劇のヒロインを妄想している。そしてそれが最高の愛のかたちだと信じながら、夫にギリギリまで隠し通そうとする。
しかし意外なところで事態は変化を見せる。
実はノラの女友達リンデ婦人とクロクスタはかつて相思相愛の間柄だったが、リンデ夫人が家族のために金持ちの夫と結婚した事で、互いに傷つけあう別れ方をしていたのだ。
リンデ夫人はクロクスタに「二人でやり直そう」と提案し、クロクスタもついにそれに応じる。しかし、ノラを告発する手紙はすでに鍵のかかった郵便受けの中にある。それを取り返そうというクロクスタに、リンデ夫人は「あれはそのままにした方がいい。真実にちゃんと目を向けるように」と言い、二人はそのまま去る。
そして、全てがバレた後、あの有名なエンディングとなる。
ノラのやったことを悪しざまに非難したヘルメルの態度にショックを受けたノラ。
そして彼女は家を出ることを選ぶ。
ヘルメルは驚いて引きとめる。
しかし彼のことばはきかず、ノラは家を出てゆく。
というのが物語。かいつまんでみても、ずいぶん長かった。(^_^;)
ノラという女性を通して、女の自立を描いた作品だとよく言われます。
ですが、私にはぜんっぜんそうは読めないのです。
イプセンが作品を書いた当時、女性は家の中にいるもの。政治や社会のことには疎くてもよい。
という風潮はたしかにあったと思います。
それはこの作品にとどまらず、たとえば『風と共に去りぬ』に出てくる南部の裕福な暮らしとか
岸田国士の『紙風船』とか、ちょっと時代をさかのぼれば、どこにでもにも似たような描写が出てきますから、それが当たり前だったこともかつてはあったのでしょう。それは理解できます。
でも現代の目で読んだら……
……常識なさすぎ!……
としか思えない。それをそのまま感じながら読み進めると、「女の自立」という読み方とは全く違うプロットが見えてくるように思うのです。
「翻案」という切り口は、いつでもはじめから自分の中にあるものを育てることで見つけられうように思います。
何か新しいアイデアがないかなあ? これを面白く料理できないかなあ? と捜した末に発見するのではなく
ここが気になる! これおかしい! 面白い! と思ったひっかかりを丁寧に育てていった先に結実するのが「翻案」なのだと思う。
だから、演出できる作品って、きっとおのずと限られてくるんだね。
とりあえず、『人形の家』と向き合っています。
タイトルだけなら、演劇に興味のない方でも1度はきいたことがあるのではないでしょうか?
ヘンリック・イプセンというノルウェーの作家が書いた
近代戯曲の名作と言われているお芝居です。
この12月は、その『人形の家』の「翻案」に挑みます。
日本演出者協会の国際演劇交流セミナー中国特集のワークショップの課題です。
物語は、ヘルメルという弁護士とその妻ノラ、そして二人を取り囲む人たちによって紡ぎだされています。
ざ~~~~っくりかいつまむと。。。。
ノラは幼くして母をなくし、父と乳母によって育てられたお嬢様。
夫で弁護士のヘルメルは曲がったことが大嫌い。そして妻のノラを溺愛している。
かつて夫が瀕死の重病におちいったとき、彼女はその治療費のためにクロクスタという男から借金をした。
だが、そんなことを夫のヘルメルが許すはずがない。
またクロクスタにしても、返済能力のないノラに無条件で金を貸すのはリスクが高すぎる。
そこで、保証人に彼女の父親を立てることを条件にした。
ところが折悪しく、彼女の父も時同じくして危篤状態。保証人の話を持ち出すことなどできなかった。
そこでノラは、夫にもクロクスタにも父親にも内緒で、契約書に自分でサインと適当な日付を入れてお金を引き出したのだ。
「だって愛のためですもの、夫のためにも、お父様のためにもこれが一番心配をかけずにすむ方法だから。それにちゃんと返済していけばなんの問題もないわ」
ところが、夫ヘルメルが銀行の頭取という役職につき、もう金銭的な苦労をしなくてもいいという状況になったことが事態を一転させる。
ノラの女友達リンデ夫人が、仕事を求めて尋ねてくる。彼女は夫と死別し、つらい人生を歩んでいるのだ。ノラのとりなしで、彼女は銀行に職を得ることができたが、かわりに同じ銀行にいたクロクスタが解雇されることになる。クロクスタは復職をとりなしてくれとノラに迫り、応じなければ借金とサイン偽装のことを、夫にばらすと脅しをかける。
ノラは自分のしでかしたことの重大さに気付き始め、狼狽するが、心のどこかで「私を愛する誰かが、私の罪をすべてかぶってくれる」「そのとき私は、彼は全く悪くないと告白しよう」と悲劇のヒロインを妄想している。そしてそれが最高の愛のかたちだと信じながら、夫にギリギリまで隠し通そうとする。
しかし意外なところで事態は変化を見せる。
実はノラの女友達リンデ婦人とクロクスタはかつて相思相愛の間柄だったが、リンデ夫人が家族のために金持ちの夫と結婚した事で、互いに傷つけあう別れ方をしていたのだ。
リンデ夫人はクロクスタに「二人でやり直そう」と提案し、クロクスタもついにそれに応じる。しかし、ノラを告発する手紙はすでに鍵のかかった郵便受けの中にある。それを取り返そうというクロクスタに、リンデ夫人は「あれはそのままにした方がいい。真実にちゃんと目を向けるように」と言い、二人はそのまま去る。
そして、全てがバレた後、あの有名なエンディングとなる。
ノラのやったことを悪しざまに非難したヘルメルの態度にショックを受けたノラ。
そして彼女は家を出ることを選ぶ。
ヘルメルは驚いて引きとめる。
しかし彼のことばはきかず、ノラは家を出てゆく。
というのが物語。かいつまんでみても、ずいぶん長かった。(^_^;)
ノラという女性を通して、女の自立を描いた作品だとよく言われます。
ですが、私にはぜんっぜんそうは読めないのです。
イプセンが作品を書いた当時、女性は家の中にいるもの。政治や社会のことには疎くてもよい。
という風潮はたしかにあったと思います。
それはこの作品にとどまらず、たとえば『風と共に去りぬ』に出てくる南部の裕福な暮らしとか
岸田国士の『紙風船』とか、ちょっと時代をさかのぼれば、どこにでもにも似たような描写が出てきますから、それが当たり前だったこともかつてはあったのでしょう。それは理解できます。
でも現代の目で読んだら……
……常識なさすぎ!……
としか思えない。それをそのまま感じながら読み進めると、「女の自立」という読み方とは全く違うプロットが見えてくるように思うのです。
「翻案」という切り口は、いつでもはじめから自分の中にあるものを育てることで見つけられうように思います。
何か新しいアイデアがないかなあ? これを面白く料理できないかなあ? と捜した末に発見するのではなく
ここが気になる! これおかしい! 面白い! と思ったひっかかりを丁寧に育てていった先に結実するのが「翻案」なのだと思う。
だから、演出できる作品って、きっとおのずと限られてくるんだね。
とりあえず、『人形の家』と向き合っています。
PR
Comments
翻案楽しそう!
ちゃんと観たのは一回だけだけど、なんか予想してたのと随分印象が違ったし、もやもや感が残りました。
リンデ夫人も不可解なキャラでしたねー。
観たときはあれこれ考察して楽しんでたんだけど、もう忘れちゃった(^o^)
ただ、終幕の幕切れの音がすごーく気になりました。
演出でつけくわえられたのかと思ったら、戯曲にもちゃんとト書きで書かれてるんですよね。
Re:翻案楽しそう!
翻案も劇作のうちですから、唐沢さんもやってみたら?
海外だと、古典作品のアダプテーションが、ちゃんとクレジット入りで出版されますよ!
>リンデ夫人も不可解なキャラでしたねー。
いやこれが、いま読み返してみると、もしかしたら一番理解しやすい人になっているかもしれないですよ。
>ただ、終幕の幕切れの音がすごーく気になりました。
扉が閉まる音ね!
このト書きに忠実にSEを入れる方が多いんだろうと思いますけど…
これもね、日本語の翻訳にすごく癖があるのかもしれない。
原千代海訳 扉の閉まるどんという重い音
山室静訳 門の扉が閉まって錠の下りる音
矢崎源九郎訳 家の大扉にがちゃりと錠の下りる音
竹山道雄訳 大扉がずしんとしまって、錠がおろされる音
林穣二訳 門の扉がガチャンとしまって、錠がかかる音
杉山誠訳 家のドアに錠がおろされる音
となっているんだけど、これがね、英語だと
ただ "the sound of a door shutting" としかなってないんですよ。
日本語はすごく仰々しい。どっから来るんだろうこの差?