あおさんのブログ
こんにちは テアトル・エコーの青柳敦子です。「ぐるっぽ・ちょいす」というユニットで、舞台作品を作ります。ワークショップも開催します。人と人とのふれあいと、笑いを求めて今日も行く!! 一匹狼の演出家です。
- 2024/11/21 (Thu)
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- 2011/08/14 (Sun)
二幕四場は天下の険
昨日は1日かけて、二幕四場の稽古をしました。
同じタイトルの稽古場リポートが、K・リア公式ブログにございます。
結構ツボで、一人で大笑いして読みました。
二幕四場は、『リア王』という芝居のなかでは物語の分岐点となるとても重要な場面です。
--------------
長女ゴネリルのところに身を寄せていたリアが、対応に不満を抱いてリーガンのところに向かおうとします。
一方、ゴネリルからの手紙で、ことを重大と捉えたリーガンは邸を出て、信頼のおける家臣グロスターのところへ身を寄せ、相談に乗ってもらおうとします。
しかし、そのグロスター自身は、息子エドガーが自分の命と財産を狙っているというデマに踊らされ、それを仕組んだエドマンド(エドガーとは腹違いの弟)のでっち上げた刃傷騒ぎがもとで、息子を指名手配にかけることになるという大事件の渦中にあって、気も動転しているさなかでした。
こうして情報と人の思いが交錯するなかに、遅れてやってきたリアと、ゴネリルが合流し、一同勢揃いのなかでそれぞれの立場から、それぞれの思惑がぶつかり合い、絡み合い、最後にはリア王が荒野へ飛び出してゆくのです。
--------------
大概の公演では、ここでゴネリルとリーガンがいかに非情に、親不孝に、身勝手に、リアを追い込み、城の外へ追い出すかという点がクローズアップされるように思います。
ですが今回のカンパニーでは違う点に注目しています。
実はよく見ると、このシーンのなかでは、誰も一言も
「リアにうちに来てほしくない」
「お父様出ていきなさい」
とは言っていないのです。
それでもリアは結果的に一人で荒野へ飛び出していきます。
争われている点はどうも違うところにあるようです。
すれ違いのカギになるもの、それが100人の騎士たち……
リアにつき従っている騎士たちが、どんな人間たちの集団なのか?
ゴネリルは「乱暴で礼儀知らず。おかげでうちは女郎屋のようになっている」と主張します。
一方リアは「わしの騎士は選りすぐりのものだけだ」と言い張ります。
どちらが本当なのか? 百人の騎士たちは実際には舞台上に現れませんので謎のままです。
暴力の危険から家庭の平安を守ろうとする主婦、ゴネリルとリーガンにとって、このときのリアは年老いて引退した父でしかありません。
しかしリアの人生経験のなかには「王となる人間」「王である人間」としての生活態度しかありません。
リアは、いままで行使できた「王の大権」までも、婿たちに譲り渡してしまっていますから、感極まってもなに一つ言い渡すことができません。一幕一場でやったように「おまえを追放する」や「王として命令する」と言う力まで、全て譲り渡してしまっているのです。
さしずめ、会長職にありながら、会社の株まで全て手放してしまったような状況でしょうか?
それでも周りが、「王」という名前を、象徴的に持っているだけで、自分を「王」として扱い続けてくれると疑わなかったリアの誤算でした。
一方的な善悪ではなく、それぞれの立場が浮かび上がって、やむにやまれず自体があらぬ方向に転がり出す……。二幕四場がそのカギを握っています。
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グループAKT.T+ぐるっぽ・ちょいす公演
『K・リア ~ヒメミコタチノオハナシ~』
シェイクスピアのあの名作で遊びまくる!
主役は三人の娘たち!!
東京公演: 9月10日~13日 武蔵野芸能劇場
京都公演: 9月17日~18日 京都府立文化芸術会館
*ぶんげいマスターピースVol. 3 「シェークスピア・ウィーク」参加作品
*京都国際舞台芸術祭「KYOTO EXPERIMENT 2011」提携公演
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同じタイトルの稽古場リポートが、K・リア公式ブログにございます。
結構ツボで、一人で大笑いして読みました。
二幕四場は、『リア王』という芝居のなかでは物語の分岐点となるとても重要な場面です。
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長女ゴネリルのところに身を寄せていたリアが、対応に不満を抱いてリーガンのところに向かおうとします。
一方、ゴネリルからの手紙で、ことを重大と捉えたリーガンは邸を出て、信頼のおける家臣グロスターのところへ身を寄せ、相談に乗ってもらおうとします。
しかし、そのグロスター自身は、息子エドガーが自分の命と財産を狙っているというデマに踊らされ、それを仕組んだエドマンド(エドガーとは腹違いの弟)のでっち上げた刃傷騒ぎがもとで、息子を指名手配にかけることになるという大事件の渦中にあって、気も動転しているさなかでした。
こうして情報と人の思いが交錯するなかに、遅れてやってきたリアと、ゴネリルが合流し、一同勢揃いのなかでそれぞれの立場から、それぞれの思惑がぶつかり合い、絡み合い、最後にはリア王が荒野へ飛び出してゆくのです。
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大概の公演では、ここでゴネリルとリーガンがいかに非情に、親不孝に、身勝手に、リアを追い込み、城の外へ追い出すかという点がクローズアップされるように思います。
ですが今回のカンパニーでは違う点に注目しています。
実はよく見ると、このシーンのなかでは、誰も一言も
「リアにうちに来てほしくない」
「お父様出ていきなさい」
とは言っていないのです。
それでもリアは結果的に一人で荒野へ飛び出していきます。
争われている点はどうも違うところにあるようです。
すれ違いのカギになるもの、それが100人の騎士たち……
リアにつき従っている騎士たちが、どんな人間たちの集団なのか?
ゴネリルは「乱暴で礼儀知らず。おかげでうちは女郎屋のようになっている」と主張します。
一方リアは「わしの騎士は選りすぐりのものだけだ」と言い張ります。
どちらが本当なのか? 百人の騎士たちは実際には舞台上に現れませんので謎のままです。
暴力の危険から家庭の平安を守ろうとする主婦、ゴネリルとリーガンにとって、このときのリアは年老いて引退した父でしかありません。
しかしリアの人生経験のなかには「王となる人間」「王である人間」としての生活態度しかありません。
リアは、いままで行使できた「王の大権」までも、婿たちに譲り渡してしまっていますから、感極まってもなに一つ言い渡すことができません。一幕一場でやったように「おまえを追放する」や「王として命令する」と言う力まで、全て譲り渡してしまっているのです。
さしずめ、会長職にありながら、会社の株まで全て手放してしまったような状況でしょうか?
それでも周りが、「王」という名前を、象徴的に持っているだけで、自分を「王」として扱い続けてくれると疑わなかったリアの誤算でした。
一方的な善悪ではなく、それぞれの立場が浮かび上がって、やむにやまれず自体があらぬ方向に転がり出す……。二幕四場がそのカギを握っています。
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グループAKT.T+ぐるっぽ・ちょいす公演
『K・リア ~ヒメミコタチノオハナシ~』
シェイクスピアのあの名作で遊びまくる!
主役は三人の娘たち!!
東京公演: 9月10日~13日 武蔵野芸能劇場
京都公演: 9月17日~18日 京都府立文化芸術会館
*ぶんげいマスターピースVol. 3 「シェークスピア・ウィーク」参加作品
*京都国際舞台芸術祭「KYOTO EXPERIMENT 2011」提携公演
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Comments
厄介な人
Re:厄介な人
共感者がいて嬉しいです。
リアの生い立ちを思えばあの「厄介さ」はある意味しかたのないことだとは思いますけれど、でもそれを「一人の娘」としてがっちり受け止めろと言われたら、しんどいだろうなあと本当にそう思いました。その上、ゴネリルもリーガンも、おさえるところはちゃんとおさえて結構頑張って説得しようとしてるように見えるし……(笑)
タイトルロールを主役らしく立派に扱わなければいけないという先入観は、むしろ私たち作り手の方に根深いのかもしれませんね。