あおさんのブログ
こんにちは テアトル・エコーの青柳敦子です。「ぐるっぽ・ちょいす」というユニットで、舞台作品を作ります。ワークショップも開催します。人と人とのふれあいと、笑いを求めて今日も行く!! 一匹狼の演出家です。
- 2024/11/21 (Thu)
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- 2011/03/21 (Mon)
「リア王」に思うこと
昨年11月、京都で開催された「シェイクスピア・コンペ」で優秀賞をいただきました。
そして今年9月、同じ京都で開催される「シェイクスピア・ウィーク」に招待していただきました。
シェイクスピアを題材にした新作を持って、もう一度京都を訪れることができること。
本当に幸せに思います。
『ヴェローナの二紳士』でともに優秀賞を受賞した「グループAKT・T」と
『ご臨終』を上演した「ぐるっぽ・ちょいす」が手を取り合って、新作創りに挑みます。
取り上げる作品は、名作中の名作、知名度ナンバーワン(多分??)
『リア王』です。
ブリテンの老王リアが、3人の娘に全てを託して引退しようとする。
そのために「どれほど自分の愛しているか」を言葉で証明せよと命じる。
二人の姉はそつなく見事にそれをこなすが、末の妹コーディリアは王の耳に心地よい言葉を選べない。
その結果、コーディリアは老王の怒りを買って勘当され、その身はフランス王が王妃に迎えるべく引き取ってゆく。
老王は残った二人の姉妹の家に1カ月ずつ滞在することにしたが、姉妹の対応は日に日に冷たくなってゆくように感じる。
耐えがたさをを覚えた老王は、とうとう荒野へ飛び出し、どん底の日々の中で正気を失ってゆく。
一方老王不在のブリテンでは様々な人間の思惑が飛び交い、国政は混乱してゆく。
芝居の終盤、父を思ってフランスからブリテン入りしていたコーディリアと共に、老王までも捕虜として捕えられてしまう。
老王は、父と娘としての愛情抱きしめて一緒に生きていこうとコーディリアに話しかけるが、その末娘コーディリアも命を断たれてしまう。
怒りと絶望と後悔の内に、老王リアも絶命する。
中学校や高校でも教材として取り上げられることの多いこの作品。
「本当の愛」をめぐる物語として
コーディリアを真心の人
二人の姉を不実の人
リア王が真実に目覚めて後悔する人
という構図で読まれることが多いような気がする。
だが私の興味は違う所にある。
「王」というペルソナを演じ続けなければいけない立場にありながら、それを外したがっている男
「王女」と言うペルソナを演じながら「娘」としての日常的な立場も併せ持つ女たち
それに「臣下」としてのペルソナを演じながら、「自分の生活」も天秤に掛ける男たち
こうした人間たちが、王による財産の生前分与と権力の移譲と言う前代未聞の事態を前にどんな行動を選んでゆくかという、その悲劇性(喜劇性ともいえるかもしれない)にフォーカスを当てたい。
完全な善人はいない。
だが完全な悪人もいない。
そこにあるのは、人生を図る物差しの差だ。
非常事態に人はどんなストレスを感じ、何を理不尽と思い、どんな行動を選ぶか……
リア王をそんな切り口で読み解いてみたい。
震災も
中東情勢も
日本の経済状況も
政治も
全てがそのヒントになっているように思う。
あらゆることが、いま目の前で私を「リア王」に導いて行ってくれている。
そんな運命的なものを感じていると言ったら、大げさだろうか?
なにか、この作品にミッションめいたものを感じている今日この頃……
いよいよ始動です。
まずは……上演台本……書かなきゃ……(^_^;)
さあ、これでもう後には引けないぞっと!
そして今年9月、同じ京都で開催される「シェイクスピア・ウィーク」に招待していただきました。
シェイクスピアを題材にした新作を持って、もう一度京都を訪れることができること。
本当に幸せに思います。
『ヴェローナの二紳士』でともに優秀賞を受賞した「グループAKT・T」と
『ご臨終』を上演した「ぐるっぽ・ちょいす」が手を取り合って、新作創りに挑みます。
取り上げる作品は、名作中の名作、知名度ナンバーワン(多分??)
『リア王』です。
ブリテンの老王リアが、3人の娘に全てを託して引退しようとする。
そのために「どれほど自分の愛しているか」を言葉で証明せよと命じる。
二人の姉はそつなく見事にそれをこなすが、末の妹コーディリアは王の耳に心地よい言葉を選べない。
その結果、コーディリアは老王の怒りを買って勘当され、その身はフランス王が王妃に迎えるべく引き取ってゆく。
老王は残った二人の姉妹の家に1カ月ずつ滞在することにしたが、姉妹の対応は日に日に冷たくなってゆくように感じる。
耐えがたさをを覚えた老王は、とうとう荒野へ飛び出し、どん底の日々の中で正気を失ってゆく。
一方老王不在のブリテンでは様々な人間の思惑が飛び交い、国政は混乱してゆく。
芝居の終盤、父を思ってフランスからブリテン入りしていたコーディリアと共に、老王までも捕虜として捕えられてしまう。
老王は、父と娘としての愛情抱きしめて一緒に生きていこうとコーディリアに話しかけるが、その末娘コーディリアも命を断たれてしまう。
怒りと絶望と後悔の内に、老王リアも絶命する。
中学校や高校でも教材として取り上げられることの多いこの作品。
「本当の愛」をめぐる物語として
コーディリアを真心の人
二人の姉を不実の人
リア王が真実に目覚めて後悔する人
という構図で読まれることが多いような気がする。
だが私の興味は違う所にある。
「王」というペルソナを演じ続けなければいけない立場にありながら、それを外したがっている男
「王女」と言うペルソナを演じながら「娘」としての日常的な立場も併せ持つ女たち
それに「臣下」としてのペルソナを演じながら、「自分の生活」も天秤に掛ける男たち
こうした人間たちが、王による財産の生前分与と権力の移譲と言う前代未聞の事態を前にどんな行動を選んでゆくかという、その悲劇性(喜劇性ともいえるかもしれない)にフォーカスを当てたい。
完全な善人はいない。
だが完全な悪人もいない。
そこにあるのは、人生を図る物差しの差だ。
非常事態に人はどんなストレスを感じ、何を理不尽と思い、どんな行動を選ぶか……
リア王をそんな切り口で読み解いてみたい。
震災も
中東情勢も
日本の経済状況も
政治も
全てがそのヒントになっているように思う。
あらゆることが、いま目の前で私を「リア王」に導いて行ってくれている。
そんな運命的なものを感じていると言ったら、大げさだろうか?
なにか、この作品にミッションめいたものを感じている今日この頃……
いよいよ始動です。
まずは……上演台本……書かなきゃ……(^_^;)
さあ、これでもう後には引けないぞっと!
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