あおさんのブログ
こんにちは テアトル・エコーの青柳敦子です。「ぐるっぽ・ちょいす」というユニットで、舞台作品を作ります。ワークショップも開催します。人と人とのふれあいと、笑いを求めて今日も行く!! 一匹狼の演出家です。
- 2024/11/22 (Fri)
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
- 2013/05/29 (Wed)
民意は伝わる? 伝わらない?
これは昔、演技のトレーニングを受けていたワークショップでのやり取りです。
ある芝居の解釈から話が派生して、民主主義の話になりました。
「日本では、民主主義はどのように習いますか?」
こう聞かれて、「どう習ったっけ?」と首をかしげる人もいたように記憶しています。
私の乏しい記憶では(社会科…嫌いだったんだなあ、あの頃…)、日本は選挙で選んだ代表が、国会に行って国の政治をします。だから「投票」が自分たちの意見を反映させるための最も重要な最高の権利です…というような習い方をしたと思い出しました。
こちらは総務省の「選挙の意義」を解説したサイトです。
ここにも
日本は国民が主権を持つ民主主義国家です。
選挙は、私たち国民が政治に参加し、主権者としてその意思を政治に反映させることのできる
最も重要かつ基本的な機会です。
とあります。
中学校1年生の教室、社会科の授業。
窓側の席の後ろから二番目あたりに座った自分の姿までよみがえりました。
「そうか、投票で参加するのか!」という、ちょっと大人になることへの背伸び感を持ったのを思い出しました。
と同時に「そうか、間接的な参加なのか」ということにネガティブなイメージが湧いたことも思い出しました。
ところが、アメリカでの彼女の話は、私たちの体験とは全く違いました。
裏付けはとっていませんが、アメリカ人である彼女の体験談としてリアリティを持って聞きました。
まだ、インターネットも、携帯電話もない時代のお話です。
アメリカの小学生が、政治と自分とのかかわりを始めて勉強するとき、どうするか?
答えはこうです……
生徒たちは、コインを渡されて、公衆電話からホワイトハウスに電話をかける。
ホワイトハウスには国民が大統領と話したい時に必ずつながるホットラインがあって、そこに掛ければ大統領と直接話すチャンスがあるんです。
子どもたちは、自分でダイヤルしてホワイトハウスに電話をします。
そして直接、大統領と話をします。
自分の声に大統領が耳を傾けてくれる、そして答えてくれる。
これが、民主主義の真ん中に国民があり、自分たちの声は大統領まで届き、さらには自分たちの声には、彼らを「動かす力」がある、ということを学ぶのです。
ショックでした。
彼女の体験談と比べて、私たちの体験の、なんという距離感の差、実感の差でしょう!?
その時の衝撃の大きさを今も忘れることができません。
私たちは民主主義の基本を習ったようでいて、実際には政治との距離の遠さを習ったのではないかとすら思いました。
アメリカと日本では、基本的なシステムの違いがあるので、一概に善し悪しを言うことはできませんが、でも「実感」が伴うかどうかという差は、とても大きなポイントだと思います。そしてそれは政治だけではなく、あらゆるコミュニケーションの基本、モチベーションの源泉なのだと思うのです。
自分の意志や思いが誰かに届けばいいのにと思ったとき、どう行動を起こし、どんな風に相手に働きかけ、どんな情報を渡せばいいか?
そのトレーニングを、今私たちは積極的にしているのだろうか? してきたのだろうか?
そこに自信を持って「イエス」と答えられないというのは、非常に恐ろしいことだと思います。
今からでも遅くはないから!
そう信じて動き出したい。動き続けたい。動かしていかなければいけない。
そう感じるような事に、なぜだかたくさん出会う今日この頃です。
ある芝居の解釈から話が派生して、民主主義の話になりました。
「日本では、民主主義はどのように習いますか?」
こう聞かれて、「どう習ったっけ?」と首をかしげる人もいたように記憶しています。
私の乏しい記憶では(社会科…嫌いだったんだなあ、あの頃…)、日本は選挙で選んだ代表が、国会に行って国の政治をします。だから「投票」が自分たちの意見を反映させるための最も重要な最高の権利です…というような習い方をしたと思い出しました。
こちらは総務省の「選挙の意義」を解説したサイトです。
ここにも
日本は国民が主権を持つ民主主義国家です。
選挙は、私たち国民が政治に参加し、主権者としてその意思を政治に反映させることのできる
最も重要かつ基本的な機会です。
とあります。
中学校1年生の教室、社会科の授業。
窓側の席の後ろから二番目あたりに座った自分の姿までよみがえりました。
「そうか、投票で参加するのか!」という、ちょっと大人になることへの背伸び感を持ったのを思い出しました。
と同時に「そうか、間接的な参加なのか」ということにネガティブなイメージが湧いたことも思い出しました。
ところが、アメリカでの彼女の話は、私たちの体験とは全く違いました。
裏付けはとっていませんが、アメリカ人である彼女の体験談としてリアリティを持って聞きました。
まだ、インターネットも、携帯電話もない時代のお話です。
アメリカの小学生が、政治と自分とのかかわりを始めて勉強するとき、どうするか?
答えはこうです……
生徒たちは、コインを渡されて、公衆電話からホワイトハウスに電話をかける。
ホワイトハウスには国民が大統領と話したい時に必ずつながるホットラインがあって、そこに掛ければ大統領と直接話すチャンスがあるんです。
子どもたちは、自分でダイヤルしてホワイトハウスに電話をします。
そして直接、大統領と話をします。
自分の声に大統領が耳を傾けてくれる、そして答えてくれる。
これが、民主主義の真ん中に国民があり、自分たちの声は大統領まで届き、さらには自分たちの声には、彼らを「動かす力」がある、ということを学ぶのです。
ショックでした。
彼女の体験談と比べて、私たちの体験の、なんという距離感の差、実感の差でしょう!?
その時の衝撃の大きさを今も忘れることができません。
私たちは民主主義の基本を習ったようでいて、実際には政治との距離の遠さを習ったのではないかとすら思いました。
アメリカと日本では、基本的なシステムの違いがあるので、一概に善し悪しを言うことはできませんが、でも「実感」が伴うかどうかという差は、とても大きなポイントだと思います。そしてそれは政治だけではなく、あらゆるコミュニケーションの基本、モチベーションの源泉なのだと思うのです。
自分の意志や思いが誰かに届けばいいのにと思ったとき、どう行動を起こし、どんな風に相手に働きかけ、どんな情報を渡せばいいか?
そのトレーニングを、今私たちは積極的にしているのだろうか? してきたのだろうか?
そこに自信を持って「イエス」と答えられないというのは、非常に恐ろしいことだと思います。
今からでも遅くはないから!
そう信じて動き出したい。動き続けたい。動かしていかなければいけない。
そう感じるような事に、なぜだかたくさん出会う今日この頃です。
PR
Comments
こんにちは はじめまして
コメントありがとうございます
最近の検索はすごいのですね!
さて、せっかくのお申し出なのですが、今は個人的なつながりのない方との、政治そのものに関するやり取りはご遠慮させていただきたいと思っております。記事の意図も、民意そのものを問うということとはちょっと違う切り口で書いていたつもりです。(未熟で申し訳ありません)ですので、悪しからずご了承くださいませ。
勇気のいる書き込みをいただいたと感謝しております