あおさんのブログ
こんにちは テアトル・エコーの青柳敦子です。「ぐるっぽ・ちょいす」というユニットで、舞台作品を作ります。ワークショップも開催します。人と人とのふれあいと、笑いを求めて今日も行く!! 一匹狼の演出家です。
- 2024/12/04 (Wed)
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
- 2013/05/22 (Wed)
納谷悟朗お別れ会
昨日 5月21日の午後
私たちの本拠地、東京・恵比寿の「恵比寿・エコー劇場」で
納谷悟朗お別れ会が行われました。
新聞にも、いくつか記事が載ったようですね。
こちらはスポーツ報知の記事でございます。
そしてこちらが納谷さんの写真(同じくスポーツ報知より)です。
祭壇には晩年の納谷さんの、本当に柔らかな表情の素敵な写真が飾られました。
納谷さんは本当にシャイな方でした。
特に写真は大嫌い。
シャイなうえに、カッコつけ、加えて意地っ張り……
チラシやプレス資料のための写真撮影ですら、憮然とした表情を崩さないような方でした。(笑)
その納谷さんが、あんなにやわらかな顔で写真におさまっている……
ただし、そのやわらかな目元は、ちゃんとトレードマークのキャップの陰に隠れるようにしておりました。
本当に納谷さんらしい素敵な写真でした。
小さな劇場からは、本当にあふれるほどの(あふれてました…m(_ _)m)方々が、お別れに駆けつけてくださいました。
その数、一般のファンの方たちも含め、300人以上……
参会者の人数に入らない、内輪の者も加えると、400人を超える人が集まったことになります。
会場となった「恵比寿・エコー劇場」は劇団テアトル・エコーの拠点です。
客席数は100をわずかに超えるだけという小劇場です。
舞台客席だけでなく、ロビーにも、駐車場に特設されたモニターの前にも、ありったけの椅子が用意されて、いらした方をお迎えいたしました。
決して、素晴らしい座り心地ではなかったと思います。
屋外にいらした方はお暑い思いをなさったろうとも思います。
お立ちいただいた方もおいでだったようです。
ご参加なさらず、道の反対側で手を合わせるだけのファンの方もいらっしゃいました。
それでもこの劇場で、納谷さんを偲ぶ会をやりたかった。。。。
劇団の創立と運営に関わってきた重鎮たちの並々ならぬ思いがそこにはありました。
ここでお別れ会をするということになった時、熊倉さんが言った言葉が耳に残っています。
どこでやるかって言ったら、帝国ホテルを借りるか、エコー劇場かなんだよ。
それだけの男なんだよ納谷悟朗って言う俳優は。
自らを「声優」ではなく、「俳優」だということにこだわっていらした納谷さん。
後進を指導し、養成所を牽引していらした納谷さん。
劇団の大きな柱の一人として、頑固に「エコーらしい作品」を追い求めた納谷さん。
そして、「あて師」(声優という言葉がまだ生まれる前に使われた呼称だそうです)として、その業界に大きな功績を残された納谷さん。。。。
ありがとうございました。
私たちの本拠地、東京・恵比寿の「恵比寿・エコー劇場」で
納谷悟朗お別れ会が行われました。
新聞にも、いくつか記事が載ったようですね。
こちらはスポーツ報知の記事でございます。
そしてこちらが納谷さんの写真(同じくスポーツ報知より)です。
祭壇には晩年の納谷さんの、本当に柔らかな表情の素敵な写真が飾られました。
納谷さんは本当にシャイな方でした。
特に写真は大嫌い。
シャイなうえに、カッコつけ、加えて意地っ張り……
チラシやプレス資料のための写真撮影ですら、憮然とした表情を崩さないような方でした。(笑)
その納谷さんが、あんなにやわらかな顔で写真におさまっている……
ただし、そのやわらかな目元は、ちゃんとトレードマークのキャップの陰に隠れるようにしておりました。
本当に納谷さんらしい素敵な写真でした。
小さな劇場からは、本当にあふれるほどの(あふれてました…m(_ _)m)方々が、お別れに駆けつけてくださいました。
その数、一般のファンの方たちも含め、300人以上……
参会者の人数に入らない、内輪の者も加えると、400人を超える人が集まったことになります。
会場となった「恵比寿・エコー劇場」は劇団テアトル・エコーの拠点です。
客席数は100をわずかに超えるだけという小劇場です。
舞台客席だけでなく、ロビーにも、駐車場に特設されたモニターの前にも、ありったけの椅子が用意されて、いらした方をお迎えいたしました。
決して、素晴らしい座り心地ではなかったと思います。
屋外にいらした方はお暑い思いをなさったろうとも思います。
お立ちいただいた方もおいでだったようです。
ご参加なさらず、道の反対側で手を合わせるだけのファンの方もいらっしゃいました。
それでもこの劇場で、納谷さんを偲ぶ会をやりたかった。。。。
劇団の創立と運営に関わってきた重鎮たちの並々ならぬ思いがそこにはありました。
ここでお別れ会をするということになった時、熊倉さんが言った言葉が耳に残っています。
どこでやるかって言ったら、帝国ホテルを借りるか、エコー劇場かなんだよ。
それだけの男なんだよ納谷悟朗って言う俳優は。
自らを「声優」ではなく、「俳優」だということにこだわっていらした納谷さん。
後進を指導し、養成所を牽引していらした納谷さん。
劇団の大きな柱の一人として、頑固に「エコーらしい作品」を追い求めた納谷さん。
そして、「あて師」(声優という言葉がまだ生まれる前に使われた呼称だそうです)として、その業界に大きな功績を残された納谷さん。。。。
ありがとうございました。
PR
Comments