あおさんのブログ
こんにちは テアトル・エコーの青柳敦子です。「ぐるっぽ・ちょいす」というユニットで、舞台作品を作ります。ワークショップも開催します。人と人とのふれあいと、笑いを求めて今日も行く!! 一匹狼の演出家です。
- 2024/11/22 (Fri)
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- 2013/05/16 (Thu)
知らないものは「見えない」 だけど「ない」わけじゃない
先日ちょっとおもしろいことがありました。
実はあるお薬の副作用に関することなのですが…
咳止め、風邪薬として、処方される事が多いというこのお薬。
フラべリック錠 (ファイザー製薬)です。
この薬を飲むと、聴覚障害を起こすことがあるそうです。
と言うと、非常にものものしく聞こえますが、服用中と服用後の一時期「音が低く聞こえる」という変化が見られるのだそうです。
この副作用、製薬会社も認め、近年説明書にもきちんと掲載されるようになっています。
私が見つけた面白いことと言うのは、直接副作用を告発するようなたぐいのものではありません。
その副作用を感じる人と、感じない人との間に生まれた「認識の差」とでもいうようなものに、とても興味深いことを見つけたのでございます。
それが、タイトルにも書きました、知らないことは「ないこと」のように感じる、人の思い込み(自己正当化かな?)の思考パターンです。
この副作用は、つい数年前までは公には認知されていませんでした。
患者さんが「音がおかしい」とお医者さんに訴えても「そんな症例も、副作用の記録もありませんねえ」で済まされてきてしまっていたようです。
なぜ、認知が遅れたのか?
それは、この副作用をキャッチできるのが、絶対音感を持った人たちだけだからです。
普通は、周囲の音がちょっと低めに聞こえたところでたいした事件ではありません。
また、人の声がちょっと低く聞こえるぐらいなら、「今日はテンション低いのかなあ?」ぐらいで済まされるかもしれません。
しかし、絶対音感のある人にとっては、玄関のチャイム、目覚まし時計、聞きなれた音楽、などなど、周囲にあふれるあらゆる音が微妙にいつもと違うピッチで聞こえてくるというのはとても嫌な違和感があるものなんです。
本当に気持ち悪いです。
大多数の人が感じない、つまりある種のマイノリティだけが感受する症状だったこと、そして、Twitter のような、情報の発信とスピーディーな集約を可能にするようなネットワークが、つい最近まで存在しなかったこと、こうした理由のせいでこの副作用は報告されることがなかったのではないでしょうか。
でも症状はあった。ずっとあったはずです。
ここで私が興味を持った一言が登場します。
症状を感じた人たちのツイートに応える形で、製薬会社の方が、副作用として認定するまでに「情報の集積が」必要だったことを伝え、丁寧な文面で「ご迷惑をかけたことへのお詫び」をツイートしていたのですが、そこにこんな一言がありました。
>皆様の「音」に関する感覚がここ30年で飛躍的にあがっているのではないかと思います。
この一言に「ムムッ??」と思いました。
音感が飛躍的に上がっている???
ここからは私の想像、確かなデータのない部分でもありますので、説得力にはちょっと乏しいのですが…
絶対音感の持ち主が、飛躍的に増えているなんていうことはないんじゃないかと思います。
もしそうなら、音大を受験してくるような人の「絶対音感率」なんて、もっと感動的に上がっていてもいいはずですが、そんなことは起きていません。
じゃあ何が起こっているのか??
発言の主の周囲に、それを主張する必要のある人がいなかったというだけのことではないでしょうか?
30年前、絶対音感という言葉は、まだそんなに「誰でもが使う言葉」ではありませんでした。
でもそれと、絶対音感を持っていた人が少なかったということとは全く違う話です。
私の母は、昭和ひとけた生まれで、本人も全く認識していませんが、絶対音感の持ち主です。
小学校のピアノをちょうど調律した後に父兄会に行ったりして「あら先生、ピアノ調律しました?」なんて聞いて音楽の先生をびっくりさせたこともありました。
でも音楽的な素養はなし!
楽器の演奏もしませんし、カラオケなんて行ったこともないと思います。
それでも絶対音感は彼女の中にあります。確かにあります。
彼女は「知らない」。だけど絶対音感が「ない」わけじゃない。
同じように、ツイートの主の周りには、絶対音感がある人が「見えなかった」。
でもそれは、そういう人が「いない」と言うこととイコールじゃない。
たまたまTwitter で同じ症状を訴える人がつながることができた。
すると同じ症例が、ダダーっと列をなして「見えて」くる。
でもそれは、今「出てきた」わけじゃない。
それを「皆様の聴覚が飛躍的にあがってきた」というふうにくくられると、絶対音感ありの人生を送ってきた者として、非常に「違うんじゃないかあ!!?」と言いたくなるわけでございます。
人間だれでも自分を中心にした物差しで世の中を見ていると思います。
自分のまわりにたくさん情報があるもの、自分が興味を持って情報を集めているものはちゃんと「ある」と認識するけれど、そうではないものは視界になかなか入らない。それを「ないもの」と決めてかかるのは非常に危険なのだなあ……と感慨深くかみしめておりました。
自分の物差し。
自分の常識。
自分のテリトリー。
その外側にももっと大きな世界があることを、忘れないように、肝に銘じておかなくちゃ!!
そう思ったエピソードでした。
実はあるお薬の副作用に関することなのですが…
咳止め、風邪薬として、処方される事が多いというこのお薬。
フラべリック錠 (ファイザー製薬)です。
この薬を飲むと、聴覚障害を起こすことがあるそうです。
と言うと、非常にものものしく聞こえますが、服用中と服用後の一時期「音が低く聞こえる」という変化が見られるのだそうです。
この副作用、製薬会社も認め、近年説明書にもきちんと掲載されるようになっています。
私が見つけた面白いことと言うのは、直接副作用を告発するようなたぐいのものではありません。
その副作用を感じる人と、感じない人との間に生まれた「認識の差」とでもいうようなものに、とても興味深いことを見つけたのでございます。
それが、タイトルにも書きました、知らないことは「ないこと」のように感じる、人の思い込み(自己正当化かな?)の思考パターンです。
この副作用は、つい数年前までは公には認知されていませんでした。
患者さんが「音がおかしい」とお医者さんに訴えても「そんな症例も、副作用の記録もありませんねえ」で済まされてきてしまっていたようです。
なぜ、認知が遅れたのか?
それは、この副作用をキャッチできるのが、絶対音感を持った人たちだけだからです。
普通は、周囲の音がちょっと低めに聞こえたところでたいした事件ではありません。
また、人の声がちょっと低く聞こえるぐらいなら、「今日はテンション低いのかなあ?」ぐらいで済まされるかもしれません。
しかし、絶対音感のある人にとっては、玄関のチャイム、目覚まし時計、聞きなれた音楽、などなど、周囲にあふれるあらゆる音が微妙にいつもと違うピッチで聞こえてくるというのはとても嫌な違和感があるものなんです。
本当に気持ち悪いです。
大多数の人が感じない、つまりある種のマイノリティだけが感受する症状だったこと、そして、Twitter のような、情報の発信とスピーディーな集約を可能にするようなネットワークが、つい最近まで存在しなかったこと、こうした理由のせいでこの副作用は報告されることがなかったのではないでしょうか。
でも症状はあった。ずっとあったはずです。
ここで私が興味を持った一言が登場します。
症状を感じた人たちのツイートに応える形で、製薬会社の方が、副作用として認定するまでに「情報の集積が」必要だったことを伝え、丁寧な文面で「ご迷惑をかけたことへのお詫び」をツイートしていたのですが、そこにこんな一言がありました。
>皆様の「音」に関する感覚がここ30年で飛躍的にあがっているのではないかと思います。
この一言に「ムムッ??」と思いました。
音感が飛躍的に上がっている???
ここからは私の想像、確かなデータのない部分でもありますので、説得力にはちょっと乏しいのですが…
絶対音感の持ち主が、飛躍的に増えているなんていうことはないんじゃないかと思います。
もしそうなら、音大を受験してくるような人の「絶対音感率」なんて、もっと感動的に上がっていてもいいはずですが、そんなことは起きていません。
じゃあ何が起こっているのか??
発言の主の周囲に、それを主張する必要のある人がいなかったというだけのことではないでしょうか?
30年前、絶対音感という言葉は、まだそんなに「誰でもが使う言葉」ではありませんでした。
でもそれと、絶対音感を持っていた人が少なかったということとは全く違う話です。
私の母は、昭和ひとけた生まれで、本人も全く認識していませんが、絶対音感の持ち主です。
小学校のピアノをちょうど調律した後に父兄会に行ったりして「あら先生、ピアノ調律しました?」なんて聞いて音楽の先生をびっくりさせたこともありました。
でも音楽的な素養はなし!
楽器の演奏もしませんし、カラオケなんて行ったこともないと思います。
それでも絶対音感は彼女の中にあります。確かにあります。
彼女は「知らない」。だけど絶対音感が「ない」わけじゃない。
同じように、ツイートの主の周りには、絶対音感がある人が「見えなかった」。
でもそれは、そういう人が「いない」と言うこととイコールじゃない。
たまたまTwitter で同じ症状を訴える人がつながることができた。
すると同じ症例が、ダダーっと列をなして「見えて」くる。
でもそれは、今「出てきた」わけじゃない。
それを「皆様の聴覚が飛躍的にあがってきた」というふうにくくられると、絶対音感ありの人生を送ってきた者として、非常に「違うんじゃないかあ!!?」と言いたくなるわけでございます。
人間だれでも自分を中心にした物差しで世の中を見ていると思います。
自分のまわりにたくさん情報があるもの、自分が興味を持って情報を集めているものはちゃんと「ある」と認識するけれど、そうではないものは視界になかなか入らない。それを「ないもの」と決めてかかるのは非常に危険なのだなあ……と感慨深くかみしめておりました。
自分の物差し。
自分の常識。
自分のテリトリー。
その外側にももっと大きな世界があることを、忘れないように、肝に銘じておかなくちゃ!!
そう思ったエピソードでした。
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