あおさんのブログ
こんにちは テアトル・エコーの青柳敦子です。「ぐるっぽ・ちょいす」というユニットで、舞台作品を作ります。ワークショップも開催します。人と人とのふれあいと、笑いを求めて今日も行く!! 一匹狼の演出家です。
カテゴリー「THEATRE ECHO」の記事一覧
- 2024.11.21 [PR]
- 2014.09.17 そして夏が往く……その2「テアトル・エコー研修生発表会」
- 2014.06.30 テアトル・エコー第9期研修生と戯(あそ)ぶ
- 2014.05.26 テアトル・エコーの本公演作品が一つ決まりました
- 2014.03.02 テアトル・エコー SIDE B公演『病院ミシュラン』
- 2013.05.22 納谷悟朗お別れ会
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岸田國士のリーディングライブを終えた翌日から
テアトル・エコーの稽古場通いが始まりました。
この5月と6月に私も指導を担当した、テアトル・エコー第9期研修生の演技実習発表会に、再び参加するためです。(事前の告知じゃなくてごめんなさい!)
8月28日(木)から30日(土)の3日間、A、B二組が全6回の上演を行いました。
演出を担当していたのは、このかた……
あ、間違えました。
こちらのかた……
我がテアトル・エコーの重鎮、熊倉一雄です。
熊倉さんは毎年研修生の指導に当たっていますが、上演する作品はいつも、太宰治作「お伽草子」の中から取り上げています。誰でも知っている昔話を太宰独自の視点でパロディ短編小説集(?)に翻案した「お伽草子」を、地の文章(台詞ではない部分)も含めて、全てオリジナル通りに語ってゆこうという形式の群読、いや、群語り劇です。
昨年取りあげたのは「かちかち山」そして今年は「こぶとり」でした。
「小太り」じゃありません。「瘤取り」です。
念のため……。(笑)
もともとが小説。つまり「目で読む」ために書かれた文章ですから、必ずしも「しゃべりやすい」言葉ではありません。しかも、戦中の日本語と言えば、今の若い人たちにとっては、耳慣れない方言に取組むのと同じくらい、距離感のあるものになっています。
そんな「楽ではない言葉」を、しっかりと自分のことばに昇華させて相手に届ける、伝える、語りかける、と言う作業をみっちりやることが、熊倉さんが設定した、この実習の大きな目的でした。
熊倉さんは常々「井上ひさしという作家が言っていた通り、芝居はことばです!!」と力説しています。演じ手の内側に「気持ちさえあれば…」という風潮に流れがちな今の演劇の状況に、強い問題意識を持っています。それが、若い研修生たちにもビシビシ伝わっていったようです。
そんな作品に加えていただいて、私は歌の指導と伴奏ピアノの演奏を担当しました。
A、B、2チームのそれぞれに個性的な「こぶとり」に楽しく混ぜていただきながら、24名の研修生たちと、こうしてまた熱のこもった作業を一緒にできることが、なんだかとてもうれしかったです。
それにしても、熊倉さん、お疲れ様でした!
今回のカンパニーでつらかったことがあるとすれば、それは80歳を超えた熊倉さんより先に、疲れを見せてたまるかと、意地を張ったこと……ぐらいでしょうか?
「おもしろい、いい作業になりました」
熊倉さんが、講評で研修生たちに送った言葉を、そのまま私も一緒に嬉しく受け取らせていただきました。
熊さん、ありがとうございます。
演劇人を目指す若人たちの奮闘ぶりにガッツリと向き合い、本人はヘロヘロの満身創痍……
たいへんに楽苦しい(タノ・クルシイ?)日々を過ごしておりました。
それがこちらの発表会で一区切り……。ホッと一息ついています。
テアトル・エコー第九期研修生 演技実習発表会
「はじめの一歩 ~岸田國士を戯(あそ)ぶ」
←研修生お手製のチラシ。(あ、サブタイトルが間違ってました!(^_^;))
研修生…というのは、劇団テアトル・エコーが未来の演劇人を育て、近い将来劇団員となって一緒に活動してゆく人を発掘(?)するための養成機関、いわゆる養成所です。
研修期間は1年。
特徴は、ともかく「発表」「舞台上演」を繰り返す! というカリキュラムの組み方にあります。
私が担当したのは演技実習②という5月から6月の二か月間のレッスン。
彼らにとって初めての「発表会」に岸田國士の小品で挑みました。
正直なところ、入門期の人が簡単に作品を作って上演することに、私はあまり賛成ではありません。あるレベルまで到達できないと、作品をお客様の前に出してはいけないと思いますし、かといって「研修」のためにやっている作品作りで、あまり演出的にひっぱりあげてしまうのもよくないというジレンマにいつも陥ります。
何よりも、研修生自身が自分の力で切り拓けるところで、きちんと勝負させてあげないと、どこが自分の演技の入り口だったのかが分からなくなってしまう心配があります。
例えるなら、登山初心者を名峰に挑ませようとしても必ず無理がくるのだから、それを手取り足取りのフォローで成し遂げさせようとしない方がいい、という考え方ですね。
ですが今回は何とか発表の形にしなければいけない! ということで、稽古風景を見ていただくことにしました。普段の稽古と同じように、お客様の前でウォーミングアップをし、他の人が演じている時も楽屋に引っ込まずに一緒に見学し、音響も照明もない状態で、どうやってお芝居の世界を感じるか、いろいろ工夫してもらいました。
初めて人前に立って演じるというメンバーもいたようです。
他人様の前に立つと自分がどうなってしまうのか?
「緊張」という魔物との出会いも、お客様の存在を借りて体験させていただきました。
結果……仕上がった作品ではありませんでしたので、お客様には「ものたりない」「よくわからない」というじれったい思いをさせたのではないかと思います。ですが「はじめの一歩」としては、本当にとても貴重な体験をたくさんさせていただきました。
これから研修生は3回の発表会と、数回の自主的な試演会を重ねながら、本当に見ていただくに足る作品作りに近づいてゆきます。
その道のりはなだらかではないとは思いますが、ぜひぜひ頑張ってほしいと願っています。
かねてより「この作品をエコーで」と呼びかけていた作品が、見事本公演で上演されることになりました!!(演出は私じゃないんですが…)
上演権取得など全てがこれから準備です。作品名などを公にするにはまだ早すぎるタイミングなので、奥歯に物がいっぱい挟まったような書き方になってしまってすみません! でも嬉しかったのでどうしても今日のタイミングでブログにアップしたかったんです。
作品名はまだ内緒。アメリカの作品です。
←内緒で本の表紙をちょこっとだけ紹介(どこが内緒だ?)
「エコー向の作品はありませんか?」と翻訳の方にご連絡を差し上げたのはいつだったろう?
そう思ってメールの記録をさかのぼってみたら、なんと2012年の4月上旬のことでした!!
丸々2年以上前!!
シノプシスを起こしていただいて会議に提案し、その後粗訳をしていただき、合同会議のメンバーに読んでもらう期間を持ち、さてこれでプレゼンを…と思ったところで、改訂版が出ていることが発覚!!
新版のシノプシスを起こし、さらに粗訳をもう一度お願いし、作品の再提出をし、メンバーに読んでもらい……
そしてこの度「この方に演出していただいたら面白いのでは!?」という演出家さんのご提案込みで、ようやくプレゼンに持ち込めました。
演出家を引っ張ってきてくれたのは劇団員のYさん。
某日、稽古場の片隅で「あのさあ、あの作品、ホニャララっていう演出家でってアイデアがあるんだけど、どう思う? 提案してもいいかな?」と申し訳なさそうな表情をしながら話してくれたYさん……。
大賛成でした!!!
それがとうとう、ようやく、やっとゴールに辿り着きました!!!
嬉しいです。
ずっとエコーに作品を!と思っていた翻訳家のTさん!
そしてとてもお若いのに、がっつり充実したお仕事をしていらっしゃる演出家のTさん!
あれ、両方Tさんになっちゃった。(笑)
どうぞよろしくお願いいたします。
これはもしかしたら、エコーにとってちょっとエポックメ・イキングなことになるかもしれません! と期待感充分です!!
きっと春はもう目の前、鼻の先……。
そして花粉も目の前、鼻の先……のようです。
さて、去る3月1日(土)から10日(月)まで、恵比寿・エコー劇場で『病院ミシュラン』が上演されています。作は唐沢伊万里。演出は永井寛孝。
劇場では、幕が開いてほんの二言か三言の間にもう笑いが起き、それが終幕までとだえることがないという、ステキな状況が生まれています。
ごきげんにハチャメチャで明るい仕上がりになっている『病院ミシュラン』ですが、作品を書いた唐沢伊万里さんは、残念ながら舞台の幕が上がるその場に立ち会うことができませんでした。
唐沢さんは昨年の7月2日、25年に及ぶガン闘病生活の末、息を引き取られたのです。
病院が舞台のこの戯曲は、彼女の長年の経験と、病気に対する様々な思いが織り込まれた、まさに渾身の一作と言えるのではないでしょうか。
作品についてあれこれ私が書くよりも、どうぞ一人でも多くの方にこの作品を見ていただきたいと願っています。病気と向き合った人生を、この『病院ミシュラン』でとことんまで笑いに昇華させた唐沢さんの作家魂を、どうぞ劇場で見届けていただきたいと思います。そして彼女の作品が今後も上演され続けますように……。
公演の詳細はこちらからどうぞ。
そして、彼女の念願だった作品の出版も実現いたしました。
扶桑社より、電子書籍で配信されております。
電子書籍の情報はこちらをどうぞ。
配信された『病院みしゅらん』(電子書籍版はひらがな「みしゅらん」になっております)は、今上演されているものとちょっと違います。『病院みしゅらん』は2004年にテアトル・エコー創作戯曲募集に佳作入選した時のバージョンです。そして上演版は、最後まで「改訂したい!」という思いを持っていた唐沢さんの遺志を汲み、演出の永井寛孝がちょっとだけアレンジを加えています。
どうぞ『病院ミシュラン』と『病院みしゅらん』……どちらもよろしくお願いいたします。
唐沢さん、劇場はにぎやかですよ!!
きっと空からも見えていますよね!!
私たちの本拠地、東京・恵比寿の「恵比寿・エコー劇場」で
納谷悟朗お別れ会が行われました。
新聞にも、いくつか記事が載ったようですね。
こちらはスポーツ報知の記事でございます。
そしてこちらが納谷さんの写真(同じくスポーツ報知より)です。
祭壇には晩年の納谷さんの、本当に柔らかな表情の素敵な写真が飾られました。
納谷さんは本当にシャイな方でした。
特に写真は大嫌い。
シャイなうえに、カッコつけ、加えて意地っ張り……
チラシやプレス資料のための写真撮影ですら、憮然とした表情を崩さないような方でした。(笑)
その納谷さんが、あんなにやわらかな顔で写真におさまっている……
ただし、そのやわらかな目元は、ちゃんとトレードマークのキャップの陰に隠れるようにしておりました。
本当に納谷さんらしい素敵な写真でした。
小さな劇場からは、本当にあふれるほどの(あふれてました…m(_ _)m)方々が、お別れに駆けつけてくださいました。
その数、一般のファンの方たちも含め、300人以上……
参会者の人数に入らない、内輪の者も加えると、400人を超える人が集まったことになります。
会場となった「恵比寿・エコー劇場」は劇団テアトル・エコーの拠点です。
客席数は100をわずかに超えるだけという小劇場です。
舞台客席だけでなく、ロビーにも、駐車場に特設されたモニターの前にも、ありったけの椅子が用意されて、いらした方をお迎えいたしました。
決して、素晴らしい座り心地ではなかったと思います。
屋外にいらした方はお暑い思いをなさったろうとも思います。
お立ちいただいた方もおいでだったようです。
ご参加なさらず、道の反対側で手を合わせるだけのファンの方もいらっしゃいました。
それでもこの劇場で、納谷さんを偲ぶ会をやりたかった。。。。
劇団の創立と運営に関わってきた重鎮たちの並々ならぬ思いがそこにはありました。
ここでお別れ会をするということになった時、熊倉さんが言った言葉が耳に残っています。
どこでやるかって言ったら、帝国ホテルを借りるか、エコー劇場かなんだよ。
それだけの男なんだよ納谷悟朗って言う俳優は。
自らを「声優」ではなく、「俳優」だということにこだわっていらした納谷さん。
後進を指導し、養成所を牽引していらした納谷さん。
劇団の大きな柱の一人として、頑固に「エコーらしい作品」を追い求めた納谷さん。
そして、「あて師」(声優という言葉がまだ生まれる前に使われた呼称だそうです)として、その業界に大きな功績を残された納谷さん。。。。
ありがとうございました。